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塩の話あれこれ 3 (塩の専売制など)

続きから

塩は、人類が生きていくのに無くてはならないために、古今東西、多くの国にとって統制の対象でした。 

日本でもかつては塩は専売制だったのです。

日本の塩専売は明治時代1905年から始まりました。日露戦争時の戦費の調達が主な理由でしたが、国内塩業の育成、保護、整備の目的もあったようです。

専売にしても価格が安定しなかったことから、1910年から政府は、専売制を継続しつつ塩業の整備に努めるようになります。

日本の近代塩業制度についてわかりやすい記事があります。

これを読むと、1910年の第1次塩業整備から戦後の第4次塩業整備まで、岩塩、湖塩がとれずまた多雨多湿であるため海水を煮込むことでしか塩を生産できない日本が、安価な塩を安定供給するためにどれだけ骨を砕いてきたかの苦労がわかるというものです。(今は温室天日で作る方法もあります)

1972年に「塩田法(正確には『塩業の整備及び近代化の促進に関する臨時措置法』)」が施行されると、塩業に携わる企業は7社にまで整備され、日本各地にあった塩田は一度完全に姿を消しました。

そして、それ以後の採鹹(さいかん)工程が「イオン交換膜法」に限定されることになりました。

{※採鹹(さいかん) : 濃い塩水をつくる工程のこと}

 それまでの伝統的製塩法に比べても格段に効率の良くなった「イオン交換膜法」ですが、この方法で作られた塩は塩化ナトリウム以外のミネラルをほとんど含みません。

この塩を巷では「精製塩」と呼んだりしますが、当時この精製塩を食用に用いることに多くの反対があったようです。

参議院においてもこの塩田法が施行される前の昭和46年、イオン交換膜法で作られた塩が本当に人体に影響が無いのか質疑がなされており、記録にも残っております。

※イオン交換膜法による製塩に関する質問主意書 (昭和四六年十二月三日)


この政府の措置に対して伝統製法の復活運動を続けた人たちがおりました。主にマクロビオティックのような自然食愛好家や消費者運動のグループ、そして学者たちです。

彼らの働きかけのお陰で、塩の生産・販売の自由化が認められるようになったのは1997年です。以後、日本でも多くの自然塩が出回るようになります。

しかし塩業の自由化が進んだ今でも、食品・食品加工用として使われる塩の約80%がこのイオン交換膜の塩だそうです。おそらく外食などしていれば知らず知らずに精製塩でつくられた加工食品を口にしていることでしょう。

 安価な塩を安定供給するための塩業整備であったとしても、果たして伝統ある製塩方法を全て潰す必要はあったのか?などと私は考えてしまいます。イケイケドンドンの高度経済成長期の日本人の短絡的な思考が垣間見える気がします。 


 アメリカが日本を抑え込むために日本人から「塩」を奪った!?

 よく陰謀説的に「アメリカが日本を抑え込むためにまともな塩を手に入れられなくした」というようなことが言われることがあります。 

 私もはじめはそのような説を信じて塩について興味をもったものでしたが、結局は証拠がないため何とも言えません。 

 しかし人間にとって必要不可欠な塩を統制することは、古今東西多くの為政者が行なってきたことであるのは歴史的にも明らかです。 

なのでアメリカが日本統治のためにしかけた、といわれても説得力がないわけではありません。


歴史を大きく遡ると、古代中国では、秦の始皇帝が鉄と塩の専売を始めました。

続く漢王朝は不評だった塩の専売を廃止しましたが、紀元前119年、北方の騎馬民族との戦費調達のためにやはり塩の専売制を復活させることとなります。

唐王朝においても761年「安史の乱」の最中、困窮する財政を補うため塩と鉄の専売が復活しました。ですが875年、横行した塩の密売の取り締まりに不満を持つ塩密売人の黄巣が起こしたのが「黄巣の乱」で、それが唐王朝の滅亡に繋がります。

モンゴル人王朝だった元王朝でも塩は専売でした。元王朝を旅したマルコ・ポーロは、塩業が盛んであったヴェネツィア出身であることから、「東方見聞録」には元帝国の塩業に関する記述がたくさんあるそうです。

そもそも、旧漢字の「塩」である「鹽」(しお)という漢字は、官僚を表す「臣」という字が含まれているからも、古代から塩は官が統制すべきものの対象であったことがうかがえるというものです。

西洋に目を向けますと、古代ローマは中国のような塩の専売はしませんでしたが、ときに塩の価格を統制していました。
オーストリアのザルツブルクは「塩の砦」という意味で、岩塩がとれるところでかつてのローマも非常にこの地を重要視していました。また、ローマは帝国建設にあたり様々な場所に製塩所をつくり、また征服したガリア、イベリア半島、中東地域などの元々あった製塩所も手中に収めています。 

フランスでも、王政時代は「ガベル」という塩税がありましたが、フランス革命で一度廃止されたものの、ナポレオンが戦費の調達のために再び塩税を復活させ、第二次大戦まで続きました。

近代の歴史を振り返ってみますと、インドを植民地支配していた大英帝国は、塩を専売制度にして税金をかけ、インドでの塩の自由な生産を禁じていました。
 
イギリス政府は塩業で有名なチェシャーの塩の価格を調整し保護するため、安価で質の高いオリッサの塩をすべて買い上げようとしました。

しかし、その意図を当時のオリッサの総督ラグジ・ボンスラに見抜かれて一度頓挫します。

結局オリッサの塩はベンガル地方での販売を禁止されるようになり、1804年イギリス政府は、インドにおける塩の独占管理を宣言し、ついにはイギリス政府以外の塩の製造も禁止するに至ります。

時は流れ1929年、マハトマ・ガンジーはインド独立運動のきっかけとして、イギリスの植民地政府による塩の専売制に着目し、全ての人民、全カーストにとって必需品である塩の自由を取り戻すために行動を起こします。 

ガンディーと彼に従う仲間たち78人が、内陸から海岸に向けて数百キロの行進し、イギリスの法を破り、塩を作ろうとしました。

これが有名な「塩の行進」と呼ばれるもので、ガンディーたちは、ダンディー海岸で固まった塩をすくい、堂々と法を破ります。ガンディーたちは官憲に棍棒で殴られたりして弾圧を受けますが、非暴力主義を貫き徹底的に運動を続けます。

そしてガンディーは国営の製塩所まで行進し、こう宣言します。


「我々は人民の名において(製塩所を)乗っ取るつもりだ」

ガンジーたちの運動はインド全土に広がり、イギリス製品の不買運動にも繋がります。そしてガンディーたちの不服従運動は、塩を取り戻すことから始まり、ついには一国の独立にまで繋がったのです。


以上のように、歴史には塩を巡るストーリーに事欠きません。塩をおさえることはその国の人々の行動や考え方に大きな影響を及ぼすのです。

なので、一度我が国を占領し、戦後も自分たちに二度と楯突くことを徹底的に許さなかったアメリカ合衆国が、「日本人にまともな塩を摂れなくして日本を抑え込んだ」という説も無いとはいえない。

塩は本来元気の源です。

特に日本人は、神に塩を備え、土俵では塩を撒いたり祓い清めにも使ったりすることから、伝統的に塩を神聖視してきました。

また、第二次大戦時に、塩おにぎりと沢庵漬だけで重い荷物を背負い、歩いて中国の奥地まだ攻めて来た日本人に中国人が驚愕したというような話も聞きます。

その時に日本人が食べていた塩はやはり自然塩で、決して「減塩」などしておりませんでした。

「減塩」をしすぎた今の日本人が無気力なのも頷けるというものではないでしょうか。

「いい塩梅」という言葉があるように、ぜひ良い塩を適量摂ってください。 

以上は、塩の重要さを皆さんにぜひ知っていただきたく、筆を執った次第です。

たぶん、また次回も続きます。

ありがとうございました。

参考文献

その他参考記事


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