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日本資本主義の精神

昨日俺は「倒産した会社の8割が【神棚】がなかった」という事について書いた。

あれから何だか神道について気になり、これまでおぼろげにしか覚えていなかった古事記の話から勉強し直し、日本の神様について勉強しようと思い、古事記の本と神社の本を買って帰った。俺は仏教の信心は厚い方だと思うが、日本人の信仰の両輪のもう一つでもある神様のほうをあまりしらなかったのだと気がついた。


昨日、山本七平の「日本資本主義の精神」に書かれていることに言及したが、あれからその箇所を読み返したので、もう少し詳しく書きたい。

P34の「仕事は経済的行為ではなく精神行為」という章にて、山本氏の知り合いである中小企業の製本屋の社長のHさんの話がでてくる。そのHさんの昔の修行時代のころの話に以下のようなものがあった。

床は板張りで、まるで道場のように磨き上げられ、店主といえども、ここに入る時は、寒中でも必ず足袋を脱ぐ。彼は老店主が旅を脱いで帯に挟む仕草をまねて、懐かしそうに言った。正面には神棚があり、仕事中はもちろん禁煙、無駄口を聞くものもいない。正月には必ず裁断機にお供えをそえて、七五三縄(しめなわ)を張る。それは工場というより、一種、精神修養の道場のようであったという。

山本七平氏は「この彼(Hさん)の精神が実は、当時の日本社会の基本秩序だったのだ。」と言っている。


ちなみにここでも「神棚」が出てきた。


また他の章では、更に面白いことが書いてある

それにも増して驚いたのは、世界的に有名で、最も近代的な経営で知られる日本の大企業の中にも「企業神」があって、重役の一人に神主がおり、全国に散らばる各事業所に分社をまつって祭儀を執行しているという事実であった。工場、事業所、出張所を入れれば百を越すであろうから、祭儀の執行だけで一年はかかるだろう。

この本の最初の刊行は1979年なのでだいぶ古いが、日本の経済がぐんぐん成長していた頃の、その経済成長を第一線で担っていた人たちの話である。つまりそういう人達は、職場を精神修養の道場のように丁重に扱い、また神様を大事に扱っていたということである。

会社の重役に神主を入れたり、神棚をまつり、工場の機械に七五三縄を飾るなど、どう考えても「合理的」ではないと思うが、しっかりと神様や職場を神聖視していた「非合理的」な時代の日本の方が、当時よりも「合理的」なはずの現代の日本よりも強くて元気があったというのは、色々考えさせられはしないだろうか?

俺は前から神様は信じているが、こういうことを知ると、いよいよ神様の存在を意識しないわけにはいかない。

その他の章でも、アメリカ帰りの二代目がアメリカ式の経営をして会社を潰した話がでてくるが、日本人には日本人のやり方があり、必ずしも「合理的」な経営などする必要はないという話だろう。

風土も歴史も人種も違う外国の経済学が日本人に必ずしも合うかわからないのに、そういうものを適用させてしまったが故に(新自由主義)、日本は先進国の中でも一番経済成長していない国になってしまったのだし、お陰で多くの日本人が疲弊し切ってどうしようもなくなっている。

日本人はもう一度原点に戻って、自分の国の神様を敬うことを思い出すべきなのかもしれない。

とりあえず俺は今、切実にそういう気がしている。














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