インドのナグプール(南天竜宮城)に行った話 5
続きから
2009年~2010年に決行した世界一周の旅では、私は佐々井秀嶺を訪ねることができなかったと書きました。
2010年10月頃に、約1年4か月にわたる世界一周の旅を終えた後は、まだそこそこの資金が余っていたこともあり、日本をスーパーカブで旅し、真冬の四国遍路を歩きました。
世界一周をした後も旅熱が続いていた私は、日本でこのまま働くのか、また旅に出るのか悶悶としており、日本で植えこまれた常識と、外国で体験してきたことのギャップで相当苦しめられました。
四国ではそのことを延々と考えながら歩いておりましたが、結局、四国の最後一番札所で会った尼さんから
「あなた若いんだから、やりたいことやりなさいよ」
と言われたのをきっかけに、再度旅立つことに決めます。
私は外国を旅することで、英語の重要性をひしひしと感じていたため、まずは東京都日野市の日野自動車の期間工として半年間みっちり働き金を貯めて、フィリピンに英語の語学留学に行きました。
フィリピンにいったのは2012年の1月くらいでしょうか、5カ月くらい勉強しました。
そして、フィリピンのバギオの韓国軍式スパルタ教育の英語学校でみっちり勉強したあとは、タイ~ミャンマー~インドのナグプールと数か月旅をする計画を立てたのでした。
ミャンマーは祖父が第二次大戦期に戦ったところであり、祖父はカチン州のミイトキーナでは一年数か月も滞在していたところであったので訪ねてみたかったこと、また前回までの記事で書いたように、インドのナグプールは、佐々井秀嶺という日本人の坊さんを訪ねたかったからです。
今思うと、何故そこまでして佐々井秀嶺という男に会いたかったのかと思うことがあります。
私は日本に帰って来てまず、「破天」という本を読みました。
「破天」は佐々井秀嶺師の半生が描かれた伝記のようなもので、彼の人間臭さと、女に溺れながらも尚精進しようとする姿と、インドでの猛烈な活動ぶりに衝撃を受け、時間も忘れて読みふけりました。 (私がこの本を勧めた何人かの友人も同じようなことを言っておりました)
「こんな日本人がいるのか!?」
という衝撃です。
戦後の日本人は大東亜戦争の大反省のためか、もしくはGHQによる日本弱体化計画のためか、えらく人間が小さくなった。
私もそんな日本人のうちの一人かもしれませんが、明治時代から昭和初期頃までの日本人の事を知ると、あの頃の日本人と今の日本人は一体どちらが本当の日本人かと思うことがあります。 全く別人種のようです。
佐々井師には、そんな昔気質の日本人の姿をみるような気がしたのです。
私は、そんな「本当」の日本人に会いたかった。
「高僧」に会いに行きたいというよりも、どえらいことをしている「革命家」に会いに行きたい、というような気分です。
事実、佐々井秀嶺師が率いるインド仏教は多分に「社会変革」の要素が強いのも事実です。
伝統的な仏教の観点からは、そのインドの「新仏教」には様々な批判があるみたいですが、私にはそんなのはどうでも良かったです。
ナグプールの佐々井師の拠点への道のりは、前回の記事で紹介した早稲田学生のO君から地図のデータをもらっており、アポなしでいきなり行っても会ってくれるらしいという、不確かすぎる情報を元に勝手に、いきなり赴くつもりでおりました。
今思うと、行き当たりばったりのバックパッカー気質、ヒッピー気質が抜け切れてなかったんだなあと、反省しております。
フィリピン留学を終え、少しは英語ができるようになった私は、一度日本に帰国した後、タイに行きました。
当時好きだった女性が日本におり、後ろ髪をひかれるような思いで日本を発ったのを覚えておりますが、タイではインドビザ取得のために10営業日程要すために思いのほか長く滞在し、その間、「破天」や「闘う仏教」を再読しました。
話しは次回に続きます。
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