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真言密教とキリスト教

こんにちわ。いつもお読みいただきまして有難うございます。


少しマニアックい話をしましょう。

前回の記事で、私の友人が高野山で、この世にいないはずの人と話し、また弘法大師の声を聞いたということを書きました。


私は、友人からこの話を聞いたとき、


「何故キリスト教の国から来た人の霊が、高野山で現れるのか!?」


ということを考えておりました。


その時私の頭によぎったのが、英国のエリザエス・アンナ・ゴルドン(Elizabeth Anna Gordon 1851-1925)という夫人が主張していた

「仏基一元論」


つまり「仏教」と「基督(キリスト)教」の根本は同一である


という主張です

ゴルドン夫人がどういう経緯で「仏基一元」を唱え出したか私にはわかりませんが、夫人は「弘法大師と景教」という本を書いていることから、景教(けいきょう)と真言密教について繋がりがあると思っていたようです。


景教(けいきょう)とは、ネストリウス派キリスト教のことです。

この一派は昔、ローマ帝国での宗教会議で「異端」の烙印を押され、ローマを追放された後は、東方にむけて布教をしていったのです。


そして、このネストリウス派キリスト教は、弘法大師が唐の長安(現・西安)に留学した際、すでに現地で教えが広まっておりました。

景教(ネストリウス派キリスト教)が中国に記録上初めて伝わったとされるのは西暦635年で、阿羅本(あらぼん)というアッシリア東方教会の主教が伝えたのが始まりと言われております。

唐にはその景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院もあり、「大秦寺」と呼ばれておりました。そして当時の皇帝も「光り輝く教え」として保護していたと言います。(大秦とはローマのことらしいです)


ということで、あらゆることを貪欲に学んだ弘法大師のことですから、在唐時、景教(ネストリウス派キリスト教)に触れていたと考えるのは普通のことでしょう。 


このゴルドン夫人は、高野山に大秦景教流行中国碑(だいしんけいきょうりゅうこうちゅうごくひ)」というもののレプリカを寄贈しております。


この「大秦景教流行中国碑」とは、西暦781年、当時唐の朝廷に仕えていたバルフ(現アフガニスタンのバルフ州)出身の伊斯という人物が、長安の大秦寺(景教の寺院)に建立し、景教の教義やその中国伝来の歴史を残したものです。

この景教碑は唐が滅んだずっと後の明朝の時代、西暦約1600年ごろ出土しました。 そして当時のキリスト教世界に衝撃を与えたそうです。 


今も高野山にゴルドン夫人の墓とともにこのレプリカも残っていると言います。私はまだみておりません。


AmazonのKindleで110円で読める弘法大師と景教との関係という書物や、あるブログによると、厳島の奥の院で燃え続ける弘法大師の帰朝の際に点火された聖火や、その幔幕に描かれたダブルアックス(二つの斧)を見て、キリスト教とのつながりを直感したようです。

事実、真言密教は仏教なのにも関わらず、その教主はお釈迦様、かつて実在したゴータマ・シッダールタ(=ブッダ)ではなく、「大日如来」と呼ばれる「宇宙の真理」そのものと呼ばれる仏様になります。

どう考えてもこれは一神教の「GOD」に近い考え方のように思われます。

ある研究者の主張では「空海は景教徒だった」とかいう説を唱える人もおりますが、まあそれは言い過ぎたとしても、唐であらゆる宗教や教えを渉猟した弘法大師は景教(ネストリウス派キリスト教)にも影響を受けただろうと思います。そしてその中で真言密教の教義を構築させていった、と考えるのは普通のことだと思います。漢文の聖書だって読んでいた可能性があります。

なので、真言密教にキリスト教の「霊脈」が通っていてもおかしくはないでしょう。 本当かどうかわかりませんが、真言宗の密教僧が儀式をするとき、十字架を切る仕草のようなことをするときがあると聞いたことがありますし。(真言宗の僧侶の方で、そんなことはしないという人がいたらコメントに残してください(^-^;)


結局私が何が言いたいかと言うと、

私の外国人の友人が、高野山で、キリスト教徒であるはずの彼の知り合いの死者と話をしたというのも、

キリスト教の霊脈が流れる(ているかもしれない)真言密教の本山である高野山ならば、

キリスト教徒の霊が現れるということもあり得るのかなあ、ということです。


しかもその私の友人は、その時、霊から自分の「守護天使」をつけてもらったのです。(彼はそう言っていました)

他宗教の本山で、そんなことするでしょうか!?(^-^;


詳細なことまでは調べてませんが、大乗仏教の成立にも、インドに渡ったトマスというイエス・キリストの弟子の教えの影響があった、という研究もあるようです。


原始仏教にはなかった、「超越者への信仰」が、大乗仏教になると急に見られるようになるのですが、それもキリスト教の影響があるというのです。  (「超越者への信仰」とは、阿弥陀如来や観音菩薩への信仰というようなものです。)

原始仏教では、人生から苦しみを取り除くのにそのようなもの(超越者への信仰)は必要ないと考えたことから、 神に関しては否定も肯定もしない「無記」の姿勢を貫いていたのですが、それがいつのまにか、大乗仏教では「超越者」を信仰するような教えも出てくるようになりました。 (私自身は、ヒンドゥー教の神様に対抗して、仏教徒が仏教にも超越者への信仰を取り入れたのだろうと思っておりましたが、研究が進まない限りはどうもわかりません。)


ただ、空海とキリスト教の話は至るところでささやかれている話題ではあります。

私は霊感が全くありませんが、このブログにも度々紹介してきた

「成功している人は、なぜ神社にいくのか」の著者八木龍平氏も著書の中で

真言密教にはキリスト教と同じエネルギーを感じる


と書いておりました。


ちなみに、弘法大師の作と言われている「いろは歌」にも


「イエス、咎なくて死す」


という暗号が隠されている、と書いているブログもあります。


どこまで本当かわかりませんが、面白くないですか?(^-^;


とにかく、弘法大師という人は得体がしれません。 一生研究してもし尽くせないのではないかと思います。


以上、私の怪しいぼやきでした。


ここまで読んで頂きましてありがとうござました!!



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