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インドのナグプールに(南天竜宮城)に行った話13 (マンセル遺跡篇2)

久々の投稿になります。


前回は、インドはナグプール近郊にある「南天鉄塔」と目されているマンセル遺跡とはそもそもどういうものかについて書きました。

真言密教の経典が隠されていたという、かつて南インド(南天)に存在した鉄塔のことです。

佐々井上人が自力で探し当てた遺跡が、その南天鉄塔ではないかということですが、私は、佐々井上人と師のお弟子さんのTさんに、そのマンセル遺跡に連れて行ってもらいました。

ここには東日本大震災の被災者の供養塔も建てられており、そこで簡単な法要が行われました。

このときは2012年の夏でしたので、東日本大震災が起こってから約1年半。 

何のお経を読んだのかなど覚えておりませんが、佐々井師とお弟子さんのTさんは少人数のインド人信者とともに法要をあげていました。 私はただ、後ろで黙祷するのみです。

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日本の政治は、その後も原発を止めようとはせず、むしろ発展途上国に原発を輸出しようとする動きまであり、それに非常にショックをうけた記憶があります。原発事故が冷めやらぬうちに、モンゴルやベトナムに原発を輸出しようというその精神・・・。 自分のことを常々愛国者だと思っていた自分にとっては、もうこの国を見限ろうかと思うほどの衝撃でした。 今も、政府は信用しておりませんので、新型コロナウィルスのニュースにしても、「どうせ何か裏があるんだろう」くらいにしか思えず、まともに信じておりません。

放射能は今も海に垂れ流しです。 そして、復興五輪だとか言いながら、東京オリンピックを誘致しました。

全く恐ろしい国です。

しかし、被災者の呪いなのか天罰なのか、東京五輪が今年行われるかどうか怪しいところでもあります。


話しが逸れました。

マンセル遺跡では、実はあまり詳細な記憶まで覚えていないのですが、Tさんが個人的に仏教徒信者の家にいって法要をしていたのを覚えています。


小さな一間しかない家の片隅に祀られているブッダ像やアンベードカルの御影の前で、Tさんはパーリ語の三帰依文とお経を読誦しておりました。 

インド人の信者は、手を合わせ礼拝しながらTさんと一緒にブッダを拝みます。 傍らにはインド人の子供もおりましたが、手を合わせつつもポカーンとした顔で法要をみているような感じで、法要に興味がないのはどこの子供でも一緒なんだななんと思ったのを覚えております(笑) 

Tさんはしょっちゅうインドに来ているわけではないはずですが、こうやってインド人の家庭で法要を営んでいる。お坊さんはこの国では非常に尊ばれているようにも見えます。 

マンセルには、龍樹菩薩大寺という、大きなお寺があります。2010年に佐々井師が建立したもので、ここが龍樹(ナーガルジュナ)の聖地であることを高らかに宣揚する為のお寺だともいえましょう。


そこには、こんな碑が立っております。

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「我は龍樹(りゅうじゅ)なり
 汝速やかに南天竜宮城へ行け
 南天竜宮城は我が法城なり
 我が法城は汝が法城
 汝が法城は我が法城
 汝速やかに南天竜宮城へ行け
 南天鉄塔亦そこにあらむ乎」


これは、佐々井師が、インドから日本に帰ろうとする前日の夜中に、夢枕に現れた龍樹(ナーガルジュナ)の佐々井師に告げた夢告の内容です。

佐々井師はこの夢告を忘れずに、ナグプールに来てからも遺跡を探し続けており、ついにこの遺跡を見つけたのです。 この夢告がなければ、佐々井師はナグプールにも来なかったでしょうし、このマンセル遺跡も見つかることはなかったでしょう。

この龍樹菩薩大寺は、その記念に建てられたといっても過言ではありません。


ここは一階に空手道場、二階が本堂となっております。

そして、私とTさんは一緒にマンセルを回りました。


「南天鉄塔」と目されるマンセル遺跡は、なにやら巨大な城跡のようです。

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この近くの池から多数の投げ捨てられた仏像がみつかっており、かつてはここが一大仏教都市であったことを裏付けるものということです。

そして、ここから見るマンセルの大自然が雄大で美しい。

ここはインドのど真ん中なのです。 

インド亜大陸を曼荼羅に例えると、ここは大日如来の聖地。

インドには真言密教の見る影もないですが、ここから密教が発生し、チベットや中国、そして日本とやってきたと思うと不思議な思いがしました。

この遺跡は、仁和寺に伝わる南天鉄塔図とそっくりなのだそうです。 この南天鉄塔図は弘法大師作とのことで、弘法大師は「南天鉄塔は実在する」といっていたそうです。

偶然にしては出来過ぎているような気もします。

(続く)


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