『ぼくのPlayStationClassic』part.3 「ファイナルファンタジー VII」~PS1の命運を決めた大作~

本稿は、思い出の20本のプレイステーションソフトについて紹介・思い出語りをするコンテンツです。

※他のタイトルはぜひこちらの【予告編】を御覧くださいませ。


三作目は「ファイナルファンタジーVII

FF7といえば名作中の名作。
誰もがこれをやるためにPS1をやったことでしょう。
実際にメガヒットとなり、国内売上では300万本を超え、全世界累計では1000万本を超えるゲーム史に燦然と輝く一作です。

その後様々なスピンオフ作品が出されており、その世界観は拡大し続け、作品自体のリメイクも何度も何度も噂が立っては消え立っては消え。
そして2015年リメイクが公式に発表されたときには往年のゲームファンは震えました。

※2015年発表のリメイクトレイラー

リメイクに関しては発表から3年が立ちましたが発売日も決まっておらず、
「我々はチャーハンを作る体制を構築した」
とディレクター野村氏が言ってからチャーハンはいつまで経っても出てきません。チャーハン、いつになったら出てくるんでしょうか。

前説が長くなりました。
目次です。
今更マテリアシステムがどうこうとか、ゴールドソーサーでのスノーボードが面白かったとか、「さわっと」して「つやつや」したやつがいいとか、観覧車デートでユフィにキスされるまで3週したとか話しても仕方がない気がするので、当時どのような流れで発売され、それについてどう当時の私が感じたか、今どう思うかをまとめたいと思います。
(あと奇しくも本日11/20はユフィ・キサラギの誕生日でした。運命を感じます。)

※誕生日おめでとう

目次

・概要
 ー発売までの経緯
 ー発売後の影響
・思い出語りパート

・概要

 ー発売までの経緯

1994年12月にFF6がスーパーファミコンで発売されてから、FF7の発表まではしばらくありました。

その間、『クロノ・トリガー』『聖剣伝説3』『ドラクエ6』など、スーパーファミコンの名作RPGはまだまだ出ており、次世代機を購入する必要性を感じている人は多くなかったように思います。

当時を振り返る記事によると、雑誌などでFF7が発表されたのは1996年2月14日が初出(電撃PS)だったようです。そのときの衝撃が凄かったことは他に例えようがなかなかありません。

・FF6の時点で限界に近づいていたドットでの表現から、3Dでの表現にシフトするということ
キャラクターデザイン絵のカッコよさ(6までの天野喜孝先生のイメージ画も美麗だったのですが、一新されたイメージのキャラデは新鮮に写りました)
・FF6よりも更にスチームパンクに寄せた世界観の新しさ

などなど、言えば言うだけ魅力的に映ったポイントはあります。

ただとにかく、当時圧倒的覇権ハードであるスーファミではなくPSで出るということで、子どもたちにPS購入の説得力を与えたのがFF7だったのです。

夏にはFF7の体験版がついた格闘ゲーム『トバルNo.1』が発売。

大した出来ではありませんでしたが、別にトバル自体には興味がない人達も体験版目当てで買い、同時期に出た『刻命館』の5倍にもなる66万本を売り上げました。

※なにがレジェンダリーヒッツだ

(蛇足)
ちなみに、『トバル2』は格闘ゲームとしての中身はもちろん、「クエストのモンスターを使って格ゲーができる」など斬新な要素も多く、1よりもずっと面白かったにもかかわらず売上は約40万本と及ばなかったことをお伝えします。

(蛇足の蛇足)
この体験版商法は受け継がれ『ブレイブフェンサー武蔵伝』というポッと出のタイトルをFF8を求めて多くの子どもたちが買い求めることになりました。武蔵伝はまあ、面白かったような気がします。

 ー発売後の影響

そしていよいよ1997年1月31日、発売となりました。

1997年、全ハードの発売の中でも『ポケットモンスター』と本作のみがトリプルミリオンを超えるヒットとなり、PS盤石の礎となりました。

その後、スクウェアは続けて6月に『ファイナルファンタジータクティクス』、7月に『サガフロンティア』などヒット作を連発。10月にはFF7に追加要素を加えた『ファイナルファンタジーVIIインターナショナル』を発売し、インターナショナルも60万本以上を売れるヒット作となりました。
(FFTは別稿にて)

また、世界観を踏襲したスピンオフ作もいくつも発売されました。

・FF7 AC(アドベント・チルドレン):映画
・FF7 BC(ビフォア・クライシス):携帯ゲーム
・FF7 CC(クライシス・コア):アクションRPG
・FF7 DC(ダーシュ・オブ・ケルベロス):ガンアクションRPG

など、人気IPを絞り尽くすまで絞りつくそう、というスクウェアの熱い思いを感じます。

また、その後主人公の名前「クラウド」は人気ハンドルネームとなり「kuraudo」や「††クラウド††」などの名前をつけたキッズたちが各種ネットゲームで溢れかえっていました。(今なら「キリト」かな)

最後の話はちょっとあれでしたが、いずれにせよ、当時の子どもたちにとってFF7はものすごく大きい存在だった、ということは間違いありません。

・思い出語りパート

私は前回(https://note.mu/yoshidaryouta/n/n843efa948074)触れた通りクソ寒い青森の1月に、朝7時に間に合うようにコンビニに向かい、予約券を渡しFF7を購入しました。

大急ぎで家に帰り、プレイステーションのフタを開け、3枚組にもなるパッケージの一枚目を取り出しセット、電源をつけます。
いつものPSロゴももどかしく感じていると、画面が切り替わります。

※追体験に

青白く光るミッドガルをバックにタイトルロゴが出たシーンは今見ても痺れます。また、ムービーからシームレスで始まるゲーム本編。この演出もカッコよかった。痺れました。

発売当日は金曜日。
土日を使ってやりまくり、月曜に「どこまで進んだ?」と友達同士で確認し合うのはきっとほぼ全ての小・中学校で行われたのではないでしょうか。

クリアするまで脇目も振らずプレイし、クリア後もやりこみ要素(前述のスノーボードだけでなく、チョコボを育てたりシューティングをしたり……)に明け暮れ、そして何周もプレイしました。(ストーリーも難解だったし)

自分以上にFF7をやったやつは他にいないだろう」と考える子どもたちは全国にごまんといたはずです。まさしく私もそうでした。

(最後に)
その後もPSでのゲームは出続け、たくさんの楽しい体験をしてきました。ゲームとしての出来はもちろんFF7が一番だ、とは言えないと思います。
しかしそれでも、FF7を最初にプレイした時の感動、これを超えるものには出会っていないような気がします。

当時そう感じたわけではありませんが、当時の高揚感は「間違いなくゲームシーンの最先端を走っている」、という感覚だったのではないでしょうか。

今ではゲームは多くのジャンルに分かれ、「大作」も小粒化してきているように感じます。「全世界で何千万ダウンロード!」といった言葉もなんだか少し空虚に感ぜられるくらいです。遊ばれている数で言えばFF7よりもずっと多いのに。

それは私が大人になっただけなのか、ゲームシーンが変わったからなのかはわかりません。

しかし、この作品がゲームシーンの中で岐路の一つを作ったゲームであるとともに、私のゲーム人生に大いなる影響を与えたことは間違いありません。
本稿を書いているとまさにそのときを思い出し、グッと胸が熱くなるものを感じます。

大人になりましたが、これからもゲームで熱くなりたい、そんな思いを締めの言葉とし、本稿はこのあたりで終えさせていただきます。

次回は『ファイナルファンタジータクティクス』となるはず、です。

引き続きよろしくお願い致します。

※トップ写真は『みんなのフォトギャラリー』より、2018年1月31日に撮影された皆既月食の写真をお借りしました。21年前の同じ日の夜、僕はゲームに夢中で月を見てはいなかったでしょうけれども。

(了)

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