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第3の選択肢を持つことで、次の道ができる

私は神経難病になった瞬間、社会的な立場も多数派から少数派にクラスチェンジした。一人暮らしをしたり、結婚して子どもを出産したり、多数派にいた頃の夢は全て実現不可能だと思われた。
『会社に出社して仕事し、自宅に帰る』
この一連の行動をとることさえ、難しい。寝て起きたり、食事をとったりと日常動作をスムーズに行う手段は、高額な薬と人の助けなしには成り立たない。
公費負担制度を利用しないと、お給料の2/3が医療費として出る計算になり、経済的に追い詰められる。処方された薬は、内臓に効く薬と違って、薬の効果が1時間単位で変化していくため、普通の人と同じように生活できなくなった。

社会的な弱者の立場になった私だからこそ、できることがあるはずだ。とにかくできないことより、できることに目を向けて行動するしかない。
例えば、家事ができる時は家事をしたり、歩けそうな時に町内会に顔を出したり、助けが必要な時は地域包括支援センター等の相談窓口に相談したり、神経難病持ちの生活実態を伝えるためにホームページを開設したり、実習で自宅にきた看護学生と話したり、大学の研究に関わったりもした。

神経難病が発症して、今年、18年目を迎え、変わったことが1つある。
「できる」もしくは「できない」の他に、「どのような工夫をしたら私ができそうかを考え、相手に提示・相談してみる」と3つ目の選択肢を持つようになった。
薬があっても身体のコントロールがままならない実態は、当事者でない限りわからない。まず、私がすべきことは、体調が変化する因子を把握し、因子がどの程度、重なったら危険かを判断できるようにする。その上で、相手が理解しやすいように話をし、相談を試みる。お互いの現在をより良い未来に繋げるには、この方法がベストであると気づいた。

相談しても結果がダメな時もある。それは、お互いの都合がつかなかっただけ。相談に応じてくれた相手に感謝を伝えて、次の機会に備える。
ただ、それだけを地道に繰り返していくことで、人生のパートナーを得たり、私を気にかけてくれたり、応援する方も増えたりした。

より良い未来に繋げる選択肢を増やすには、可能な限り人との繋がりを持って、コミュニケーションを取り続ける、ただ、これだけと私は考えて、行動している。

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