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「思い出話」について

今週の月曜まで、札幌にある実家に帰っていた。

今回の帰省は2週間。お墓参りに行ったり、甥姪が来てみんなで庭でBBQをしたり、甥姪を連れてショッピングと観光をしたり、友達の家で4歳児が寝落ちするほど遊びまくったり、叔母とランチしたり、幼なじみと『君たちはどう生きるか』を観てきたりした。

滞在中、仕事は3本できたし、小説は3冊読めた。気になっていた呪術廻戦も途中まで読めた(でもあまりハマれなかった)。両親の朝のウォーキングに二度ほどつきあってエゾリスを見ることができたし、お気に入りの神社にもたびたびお参りできた。充実した、いい夏休みだったなぁと思う。

中でもよかったのは、何度か両親と晩酌をしたことだ。夕飯が終わったあと、お酒を飲みながらだらだらと喋る。話題は私の仕事のこと、兄一家や姉一家の近況、テレビで見たことなど。

しかし、最後には必ず思い出話に行きつく。

私は思い出話が苦手だった。

それには理由がある。若い頃に親しくしていた男友達と30代になってから再会したとき、私にとって忘れたい黒歴史の思い出話を嬉々としてされたのだ。私に話すだけならまだしも、そのとき周りにいた自分の友達や私の夫にも「コイツね、昔こんなことして……」とベラベラ喋るのがムカつく。私も「やめてよ」と言えばよかったのだが、ついヘラヘラ笑って合わせてしまい、不快であることを伝えられなかった。

友達はやたらと昔の私と今の私を比べては、「お前、昔はこうだったよな」と言った。「昔ははちゃめちゃで周りをかき乱すメンヘラだったのに、今は落ち着いちゃって普通の大人みたいな顔で生きてるよな」みたいな意味のことを、何かにつけて言ってくるのだ。

何言ってるの、当たり前でしょう?

その友達とは最後に会ってから10年近くが経っていて、私はその間、真っ当な人間になりたくて足掻いてきた。経済的・精神的な自立を目指してさまざまな努力や工夫を重ねてきたし、10年分の経験をしてきたのだ。それに、たとえ努力や工夫をしていなかったとしても、10年近く経てば人間性も趣味嗜好も変わっていて当たり前だ。

なのに、彼はどうしても私の変化に適応できないらしい。今の私を見てもなお、「昔はこうだった」の一点張り。彼以外の友達はみんな、とっくに私の印象を上書きしているのに、彼だけがアップデートを拒否している。

それでも再会後、年に一度くらいは彼と会った。しかし彼は相変わらず「お前、昔はこうだったよな」と思い出話を繰り返す。

いや、去年も会ってるんだから、いい加減「今の私」と話せよ。いつまで「昔の私」の話してんだよ。その話、去年も聞いてんだよ。ぼけちゃったのかよ。

何度か我慢して会っていたがとうとう堪忍袋の緒が切れ、私は彼と距離を置いた。

そして、人前で思い出話をしなくなった(エッセイで書くことはあるけど)。甥や姪が小さかったときの可愛いエピソードとかも、言いたくなるけど本人には言わない。本人にとっては、言われて恥ずかしいことかもしれないから。

というわけで思い出話を封印してきた私だが、今回両親と思い出話をしてみて、率直に言ってものすごく楽しかった。

ひとつの思い出に対して「こうだったよね」と頷き合うことも、私が忘れていることを母から聞いてエピソードが補完されることも、父が忘れている思い出に「こうだったよ!」と詳細を教えてあげることも、どれも楽しい。「懐かしさ」はエンタメなのだ。

件の友達の気持ちが少しわかった気がした。彼も、私と思い出を共に懐かしみたかったのかもしれない。「こうだったよね」「懐かしいね」と笑い合いたかっただけなのかもしれない。ただそれが、私にとっては思い出したくない嫌な思い出だっただけで。私がそのことをちゃんと伝えれば、彼もいじるようなことを言うのはやめて、距離を置くこともなかったんじゃないか。

今回のことで、思い出話に対する印象が変わった。相手をいじるような思い出話は引き続きしない方向で行くが、誰も嫌な思いをしない思い出であれば、人前で語ってみるのはアリだ。

「懐かしいね」と笑い合ってお酒を飲めたら、それはきっといい時間だろう。


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