見出し画像

せっかく、会いたい人に会えたのに

たまに、脳に麻酔がかかったように感じることがある。

脳が透明の膜で被われているような感じ。見えるし、聴こえるし、味も感じるのに、それがちゃんと脳に届かない。

私と世界は透明の膜で隔てられ、私の外側にあるものは決してダイレクトに届いてこないし、私がいくら手を伸ばしても世界に触れられない。

景色はぼんやりして現実感を失い、お酒を飲んでいないのに記憶があやふやで、いつも夢うつつ。

そんな状態でも、人と会えば話はできるし、笑うこともできる。だけど、話したり笑ったりしている自分を、自分の本体が少し離れたところから眺めているような、奇妙な感覚がある。自分が分裂するような。

小学生のときから、たまにこの感じに陥っては、気づくと治っている。

この感覚が「離人症」と呼ばれる症状だと知ったのは、たしか20代前半のとき。

離人症は症状の呼び名で、病名ではない。うつ病や不安障害など、多くの精神疾患に見られる症状らしい。


今年の夏も、この感覚がひどかった。

この感覚そのものは、ものすごく辛いというわけではない。いや、辛いんだけど、憂鬱感や不安感、恐怖感に比べればまだ耐えられる症状というか。私はね。

この症状の嫌なところは、喜怒哀楽が麻痺すること。

いかんせん脳に麻酔がかかっているような状態なので、本来100%楽しいはずの出来事も、50%くらいしか楽しめないのだ。

それがすごくもったいない。歯医者さんで歯茎に麻酔を打たれた状態で、最高級のステーキを食べているような。

9月に、Twitterで仲良くしている仲さんと嘉晶さんに会ったときも、離人症のさなかにいた。

おふたりに会えて嬉しかったし、楽しかった。それは嘘じゃない。

だけど、同じくらい悔しかった。

この体験は私にとってご馳走なのに、ふだんの半分しか味がわからない。

本当はもっともっと楽しいはずなのに、ちゃんと脳に届いてこない。感情のセンサーがバグって、入力も出力も、いつもの50%くらいしかできない。

そんなのもったいないよ。せっかく会えたのに。

いつもみたいにもっと、クリアな視界でふたりの顔を見たいよ。ぼんやりしてない頭でふたりの声を捉えたいよ。少し離れたところから見てないで、この距離で、ちゃんと心がここにある状態で話したいよ。


長年私をやっていると、楽しいはずの時間を自分のコンディションのせいで十分に楽しめないなんて、よくあることだ。

その悔しさすら、そのときはぼんやりとしか感じられない。帰り道で泣くこともできない。

脳を被っていた透明の膜がとっぱらわれて、思考や感情がクリアになった今、思い出しては「もったいなかったな」と思う。

また、次の機会にね。

サポートしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。いただいたお金は生活費の口座に入れます(夢のないこと言ってすみません)。家計に余裕があるときは困ってる人にまわします。サポートじゃなくても、フォローやシェアもめちゃくちゃ嬉しいです。