あの子にはもう二度と会えないんだ
4年ぶりに会った甥は、ずいぶんと高い位置に顔があった。
今の甥が身長185㎝であることは姉からのLINEで知っていたが、目の当たりにするとあまりに大きくてなんだか笑ってしまう。こんなに大きくて、米津玄師のような藤原基央のような前髪をしているのに、目や輪郭には小さな頃の面影が残っていた。
「久しぶりー。大きくなったねぇ」
そう言った自分の口調がすっかり親戚のおばさんでおもしろい。夫も「身長、越されちゃったなぁ」と親戚のおじさん然としたことを言った。
「あ、久しぶりです。……今日、よろしくお願いします」
甥はペコリと頭を下げる。その声は私が知っているものと違った。それに、私たちに敬語だったっけ?
4年ぶりの距離感は難しい。縮めなければ気まずいし、近づきすぎればウザいだろう。
◇
姉の長男である甥は大阪に住んでいる。つい先日中学を卒業し、今は春休みだ。
今回、彼は好きなバンドのライブのため東京に来た。普段はそんなこと許されないが、高校の合格祝いとして姉が特別に許可したのだ。姉が出した条件は、東京では私と行動を共にすること。それで、私と夫は新幹線の改札まで迎えに来た。
「ライブまで好きなとこ連れてってあげる。東京で行きたい街ある?」
「いや、東京わかんなくて」
「見たいお店とか」
「あ、ギターとレコード」
甥は音楽が好きだ。よく父親のお古のギターを弾いているらしい。
君は小さいときからお歌が大好きだったもんね。
そう思ったものの口には出さない。たぶん、年頃の子は言われたくないだろうから。
◇
甥が2歳のとき、数ヶ月間だけ一緒に暮らしたことがある。姉が第二子を里帰り出産するため、長男を連れて実家に滞在したのだ。
当時私は一人暮らしをしていたが、姉は切迫早産になりかけて絶対安静を言い渡され、甥はイヤイヤ期まっさかりで手がかかり、参った母から応援を要請された。次のバイトを見つけるまで身体が空いていた私は、実家で子守を手伝うことにした。
久しぶりに実家に帰ると、暴君のような2歳児がいた。
暴君の怒りスイッチはどこにあるかわからない。私が愛犬の散歩に行こうとすれば「お散歩はばあば! サキちゃんはダメ!」と怒り、たまごボーロを袋ごと渡せば「おたら(お皿)に入れて―!」と怒り、うどんの麺を箸で切ってやれば「切っちゃダメ―! テープでくっちゅけてよー!」と怒る。
そして、床にひっくり返ってギャンギャンと泣き叫ぶ。一度その状態になるとどれだけ宥めても抱っこしても止まらない。何十分も渾身の力で大暴れする。
イヤイヤ期というものがあるのを知ってはいたけれど、まさかこれほどとは。私は途方に暮れた。
そんな甥だが、かわいいときもあった。大好きな絵本を得意気に暗唱するときや、私が雑誌を読んでいると「なにちてるの? 生協さんちてるの?」と覗きこんでくるとき。
一番かわいかったのはお歌を歌っているときだ。甥はお歌が大好きで、童謡のDVDを観ては「じぇーんぶわかった!」と言って高らかに歌い出す。
「おーおーきなのっぽのふうどけいー♪」
その舌足らずな歌声が、なんとも言えず愛くるしかった。
◇
中央線で御茶ノ水に移動し、学生向けのばかみたいにボリュームがあるハンバーグ屋でランチをとる。私と夫はもう昔のようには食べられず、一皿をシェアすることにした。
甥との会話はなかなか弾まない。
話しかければ返ってくるが、そこからトークが広がる感じではなく、どうしてもぎこちなくなってしまう。夫は私よりあれこれ考えずに会話できるタイプなのだが、いかんせん気が利かないので、自分から話題を振って場を盛り上げてはくれない。しばしば沈黙が訪れ、そのたびに気まずい思いをした。
たぶん、甥も同じことを感じているのではないか。甥は甥で、4年ぶりに会う叔母夫妻との接し方を探っているように見えた。
ランチのあとは、甥のリクエストどおり楽器屋へ行った。甥はいくつものギターをひとつずつ丹念に眺める。何を言うでもないが、横顔から嬉しそうな気配が伝わってきた。
いくつかの楽器屋を巡ってから、ディスクユニオンへ行く。ここでも甥は目を輝かせて長い時間レコードを物色した。私と夫はやや離れたところで、店内を見るともなしに見ながら待った。
店を出て神保町へ向かって歩きながら、私は言った。
「昔さ、この辺にジャニスってレンタルCDショップがあって。流行りの音楽じゃなくてマイナーなのとか古いのもあって、セレクトがすごいよかったんだよ」
甥は一瞬「サ」と言いかけてから、「何聴いてたんですか?」と言いなおした。彼が、私の呼称を避けていることに気づく。昔のように「サキちゃん」とは呼べないのだろう。
「ソウルフラワーユニオンとか」
「いいっすね」
その言い方が、なんだかよかった。
◇
渋谷へ移動し、ライブハウスに甥を送り届けた。
「私たちはこの近くのお店で待ってるから。終わったら連絡ちょうだい」
「はい」
夫とその場を後にして歩き出す。少ししたところで振り返ると、甥は大人たちに交じって開場の列に並び、スマホをいじっていた。
それを見た瞬間、感情の波が押し寄せてきた。
あぁ、あの小さな子は、もうこの世のどこにもいないんだ!
「おーおーきなのっぽのふうどけいー♪」と舌足らずに歌っていた、床にひっくり返って泣き叫んでいた小さな暴君。あの子には、もうどうしたって会えないんだ!
そんな当たり前のことに気づき、膝から崩れ落ちそうになる。
甥が大切な存在であることは今も変わらない。この先なにがあっても、私は彼の幸せを願うし、彼が困っていれば手を差し伸べるだろう。その気持ちは本物なのだけれど、2歳のあの子に会いたい気持ちも、紛れもなく本当だ。
どうか、どうかもう一度あの子に会わせて。
胸が詰まり、思わず立ち止まる。渋谷の雑踏は夜の色に染まりつつあった。
この文章は事実とフィクションを混ぜて書いたものです。どこまでが事実かはご想像にお任せします。実際の甥は中3の受験生。来年の春、彼が合格祝いを受け取れますように。
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