罪悪感でのたうちまわった
「note書いたんだけど、添削してもらっていいかな?」
夫に言われ、彼が初めて書いた下書き保存状態のnoteを読んでみた。
ビックリした。
……いいじゃん。
文章が素直で余計なものがない。素材の味そのもの、みたいな。
やや冗長で読みにくい表現はカットしたものの、基本的には手を加えなかった。
◇
夫はSNSに疎い。昨年、noteとTwitterのアカウントを作った(私が作らせた)ものの、発信することに抵抗があるらしく、数ヶ月でほぼROM専になってしまった。
そんな彼が、(私にせっつかれたとはいえ)ようやくnoteを書いた。
彼が最初の一歩を踏み出したことが、私は嬉しかった。
とはいえ、彼の書いた記事は仕事をいただける内容ではなかった。
いくら仕事ほしさを訴えても、それだけでは、「じゃあこの人に仕事をあげよう!」とはならないだろう。クライアントに提供できる価値をコツコツと発信しなければ、仕事は来ない。
SNSから仕事をもらえるようになった身として、
「ほらね~、最初からうまくなんていかないんだよ」
「まずは、発信に慣れるのが大事。めげずにコツコツ、過去に描いた絵や、提供できるスキルを発信していけばいいよ」
と(ドヤ顔で)言うつもりだった。
ただ、noteやTwitterで仲良くしている「いつものメンバー」からはリアクションがあるだろうし、応援メッセージをもらえたら、夫の励みになるだろう。
そう思っていた。
◇
しかし、私の目論見は外れた。
翌朝に公開された夫の記事を私がシェアしたら、思いがけず拡散されたのだ。
しかも、お仕事の依頼やサポートを多数いただく結果となった。
とてもありがたいのに、同時に申し訳なさが襲ってきた。
どうしよう、同情を誘うやり方で利益を得てしまった……。
罪悪感でいっぱいになり、動悸と呼吸困難がおさまらず、何度も吐いた。
なぜなら、「お仕事募集のnote書きなよ」と促したのは私だ。「何を書けばいいのかな」と聞かれ、「今の心境を素直に書きなよ」と言った。
そうやって書かせたからには、私がちゃんと赤を入れて、必要以上に同情を誘ってしまわないように内容を整えるべきだった。
「小さな一歩のつもりで最終奥義を出してしまった」というビジネス的な戦略ミスよりも、同情でお仕事やお金をいただいてしまったことが、心苦しい。
そうなることを想定できなかった自分の、目論見の甘さが情けない。それでパニックになっていることも情けない。
夫は意外と冷静で、淡々と反響に返信をしつつ、今ある仕事をこなしていた。
◇
あらためて記事を読み直して、気づく。
これ、私たちのことを知らない人が読んだら、私のことを「かわいそうな奥さん」と思ってしまうかも……?
きっと、記事を読んで誤解してしまった人も多いだろう。そこも、私がちゃんと赤を入れるべきだった。
私は、まったく不幸でもかわいそうでもない。たまたまライターとしてなんとか生活できてるだけで、「資本主義社会での生存が苦手」という点では夫と同類の人間だ。
もともとフリーターで年収200万未満だから、今の状況もそこまでしんどいと感じていない(むしろ人生で今がいちばん楽しい)。
夫が働かないのはムカつくけど、心底ムカついたら別れればいいし、吉田ごときで不幸にはならない。
夫に収入がないのは本人のせいだし、そんな人を配偶者に選んでいるのは私だ。仮に不幸だったとしても、しょうがないんじゃないか。
それに、ずっと夫に「働け」と言わなかった私の責任も大きい。仕事に夢中で、夫のことを放置していた。
しかも、夫のnoteは、妻との約束から「お仕事ください」で終わっている。その後の行動が書かれていない。
編集として、ここにも赤を入れるべきだった。約束の後が書かれていないから、まるで何の努力もしていないかのように見えてしまう。
もちろん、そんなことはない。約束した日から毎日、夫は営業を続けているし、来た仕事には全力で取り組んでいた。
◇
noteを公開したことで、たくさんの方から温かいメッセージをいただいた。
本当にありがとうございます。
やっぱりnoteっていい場所だな。
だけど、少し慣れすぎていた。noteで仲良くしてるいつものメンバーに「頑張れ~」と言われて終わり、ではないのだ。
ここは、インターネットなのだから。
「そんなつもりじゃなかった」は言い訳にならない。
私も夫も、実力と信用で仕事をいただけるようなやり方で、発信を続けていこうと思った。
サポートしていただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。いただいたお金は生活費の口座に入れます(夢のないこと言ってすみません)。家計に余裕があるときは困ってる人にまわします。サポートじゃなくても、フォローやシェアもめちゃくちゃ嬉しいです。