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なぜ?!釧路市でつぶ貝をそんなに推すのか?

活動の始まりは?

現在私は、様々なご縁があって「つぶ貝」の虜になっている。
新聞屋さんの長男として生まれ、
家業を継いだところまでは、
通常のレールであったが、
まさか、新聞業界に携わってから15年を経て
つぶ貝のブランディング活動を行うとは、
夢にも思っていなかった。

ホント人生はどう転がるか
わからないものだ。

色んな方に、なぜ?つぶ貝の活動を行っているのか聞かれる事が多いので
どんな経緯でそうなったのか
綴ってみようと思う。

つぶ貝ブランド活動の始まりは、
折込チラシによる物産販売から派生している。
チラシ物販事業をキッカケにして、
釧路の詰め合わせボックス(クシロバコ)の企画販売を行い、
その実績から
歌舞伎座での企画を任せて頂き、

その後
専門家を釧路に招聘してアドバイスを様々もらい、

全ての流れを総まとめにして
観光庁の看板商品創出事業補助金に応募して、

様々な企業や専門家と共に、
つぶ貝を釧路の看板商品にするべく
ブランド活動を行う。

という流れで現在に至っている。

クシロバコ事業の始まり

 地域の特産品を新聞の折込チラシに入れて、主に高齢者のご自宅までお届けするサービスは、生産者や様々な想いを載せるというカタチで行っていた。
コロナ禍において、何か出来ることはないか?
お役に立てることはないか?

と考えていたところ
取引があった47CLUBからお声がけかかり、
北海道新聞の一面広告で、釧路の様々な生産者の魅力が詰まった商品詰め合わせボックス(クシロバコ)を販売する事になった。

新聞広告の反響は想像以上に大きく、
そこから様々な展開が待っていたし、
ホント人生のターニングポイントとなった。

そして、クシロバコという会社まで立ち上げてしまった。

会社設立までの流れはコチラ↓


歌舞伎座での活動

 クシロバコ事業の実績があったおかげで、
ひがし北海道ブランド推進化協議会からお声がけいただき、歌舞伎座で物産を紹介できる機会をいただいた。
そこでは物産をただ販売するだけでなく、
情報もしっかりと届けたいと思い、釧路の食と観光のランキング投票を行う十八番(オハコ)店という企画も行った。

緊急事態宣言が発令されていたので
歌舞伎座には殆ど人がいなかったが、
開催までは東京と釧路をzoomで繋ぎ、
何度も会議を重ね、様々な企画を釧路に居ながらにして出来た事は貴重な経験となった。

現在のテクノロジーの進化があれば
物理的距離があっても、様々なイベントや事業を構築できるし、
今後はVRなどを活用すれば
地方在住者でも面白い事を発信出来る時代になっているなーとも思っている。

歌舞伎座の企画展はコチラ↓


つぶ貝の文化発祥「かど屋」を再現

 前置きが長くなったが、
つぶ貝発信の始まりは、歌舞伎座など、東京で釧路の食文化を伝え、届けたい!という想いから始まった。
〆(しめ)つぶ、という強烈な文化を持つ釧路を、
東京にも発信したく、〆つぶ焼き発祥のお店「かど屋」のメニューや、店構えなどを忠実に再現した。

歌舞伎座に、お店の等身大程度のパネルを用意してメニュー表や、つぶ焼きを乗せる下駄、串、福司のお酒をおいたりと細部まで、忠実にこだわった。

釧路といえば、を作りたくて

 〆のつぶ焼きという文化はどこにも無いコンテンツだが、果たして、受け入れられるのか?

また、釧路には、サンマ、ししゃも、鮭、など行政などがブランディングに関わってきた魚介類が多くあったので、私自身も外部の専門家に実際何が釧路において強いコンテンツになり得るか?を純粋に聞いてみたかった。

ひがし北海道ブランド化推進協議会にて
様々な専門家をお呼びして、色々とお連れしたり、会議を重ねた結果、
漁獲量や加工品、調理の幅の広さから
つぶ貝にしっかりと焦点が定まり
釧路のつぶ貝ブランディング事業が本格的に始まるのである。

大きなうねりに

 つぶ貝に焦点を充て、活動する事となったが、
大きく全道•全国へ展開しなければ、波は起こせないと考えていた。

そんな矢先、北海道新聞社が札幌大通公園で食と酒のイベントを開催するにあたり、釧路の食を販売しないか?とクシロバコにお声がかかった。

これは大チャンスだと思い2つ返事でお受けした。
そして、せっかく行くのだから、観光のPRも大きく行いたいと考えた。

そうしたところ、ピッタリ当てはまる観光庁の補助金(看板商品創出補助金)があったので「えいやー」で、応募してみると
なんと奇跡的に申請が受理されたのだった。

大きな補助金があるおかげで、
釧路において、観光や食の第一線で活躍している人達をお誘いし、華々しいスタートを切ることができた。

左上から→炉端居酒屋「はたご家」白幡慎太郎、観光協会 佐藤明彦、ラルーパ 阿部壽郎、福司酒造 梁瀬一真、濱野販促 濱野輔、観光クリエイター 原田カーナ、居酒屋のんのん 去渡佳那、濱野販促 濱野綾香

 華々しいスタートとは言ってるが、初日は炭がおきなかったり、ガスが点かなかったり、トラブルだらけだった。

変な行列もできてしまい、結構血の気も引いて焦ったが、そこは流石、第一線で活躍しているメンバーの臨機応変さでカバーできた。

トラブルも回避して、2日目以降は休憩もままならない程の人気で、ヘトヘトになったが、それは、今でも良い思い出となっている。


ブランディングの大切さを学ぶ

 大通公園の出店にあたり、あらかじめブランディングのプロと一緒にイベント構築できたのは大きかった。

様々な書籍も出版している村尾隆介氏とコンセプトから店名•ユニフォーム•ポップ•ゴミ箱一つまで、細部にわたり打ち合わせをして、
店名も数ある候補の中から「946つぶ貝一本勝負」に決まった。

つぶ貝に徹底的に絞ったおかげで様々な注文を集めることが出来た。

釧路での反響

札幌大通公園での出店が新聞やTVなど全道版で報道されたおかげで、釧路市民からも注目を集める事ができた。

話題だけではなく、地元釧路でもツブ文化をもっと醸成したいと思い、ヒアガーデンに出店する準備も行なっていた。

つぶコロッケのレシピを考案した、南青山のラ•ロシェル料理長である川島孝氏をお呼びして、話題性を集め、新たなツブ料理の可能性や食べ歩きメニューの展開なども市民に周知した。

釧路川沿いで食べるツブ焼きや、つぶコロッケは相性バツグンだった。

将来は多くの観光客がツブ商品片手に街歩きをしている姿を見たいと、強く思う。

有名人へのPR活動


つぶ貝に絞って様々発信していると、ありがたい事に、色んな方にお声掛けいただく機会が多かった。

JTさんから、将棋の大会前に行う北海道将棋メシのPRとして、観光振興室経由で、つぶ貝が選ばれた。

なんと、羽生さんと藤井聡太さんの前でPRできたのだ。

後日皆さんの元につぶ焼きとつぶコロッケを送ったが、食べてくれたのだろうか?

全国へツブPR行脚

 こうなってくると、ドンドン勢いがついてくる。
今度は、つぶカレーで徳島県に行かないか?とお声がかかった。
もちろん断る理由がない。
札幌大通公園の経験を活かし、釧路の様々な業者や人とコラボして、カレーフェスに出店する事が出来た。


つぶ貝商品が全国販売される

 イベント販売だけでなく、商品展開にも関わる事が出来た。
あらかじめ専門家として入っていただいていた
JALさんが、KALDIさんとタッグを組んで
ツブ商品の開発を行なってくれた。

どちらも全国展開している企業なので、
釧路のツブ貝が大きく旅立ってくれると思うと、
とても感慨深いものがある。

ツブに関する集大成

 もうここまで来たら、やり切るしかない。
ただ、観光庁の補助事業でもあったので、
観光に寄与しなければ意味が無いと思っていた。

釧路市民に、もっとツブの魅力を発信したり、釧路のリバーサイドの魅力を発信したりしながら文化の醸成をはかりたいと思った。

なので、
釧路でつぶ料理を食べられるお店を見える化
する事業と
釧路の魅力をつぶやく、観光ガイド人材育事業を
同時に行った。

そして、締めくくりにフェスのような感覚で
1ヶ月間つぶ祭を開催し、
大きく発信した。

文化の醸成

 色々とイベントを企画実行してきたが、私自身は、やはり新聞屋さんなので、情報を繋げて発信するという事を担いとして行きたいと思っている。
釧路の価値ある資源を繋ぎ合わせたり、文化をさらに醸成させたりしながら、釧路の魅力を拡大させて行きたいと強く思っている。

最後に

 2月末で補助金事業の報告が終了し、現在は次のステップに進もうとしている。
もっとツブの料理を食べ歩いて研究したり、
ツブのオリジナル商品をもっと作ったり、
まだまだ全国行脚して、
ツブをフックに観光客を誘客したり、
様々行っていきたい。


そして現在はパーマをかけたり、服装を変えたり
自己ブランディングも行なっている。

色々と笑われたりする事もあると思うが、

笑われながらも、自分らしく、楽しんでツブについての活動を馬鹿みたくやって行きたいと思っている。

是非応援をお願いします。

ツブ貝には
灯台ツブや毛ツブ、青ツブ、真ツブの赤、真ツブの白など、謎がいっぱい!
それはまた次回!

長い文章でしたが
最後までお付き合い頂きありがとうございました。



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