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2年間の会長任務無事終えました。

2022年4月から釧路商工会議所青年部の会長の職を仰せつかり、2024年3月31日を持って任期終了となりました。
2年間、ホント色々な事がありました。悩んだり、苦しんだり、激論したり、喜びをわかちあったり、褒められたり、励まされたり...。

メンバーや関係者の皆さまにはホントお世話になりました。

会を通して少しでも街が明るい方向に進めたかな?
とも思いながらも、
2年ではそう劇的に変わる事ではない、とはわかっています。

でも、例会や事業を通して、街の文化醸成の一助になったり、様々な交流や研鑽で自己成長が図られたりしたのではないかとも実感しております。

このような若き青年経済人が様々なアクションを繰り返し、破壊と創造を繰り返しながら
新陳代謝が行われいく街が魅力ある街なのかなー?とも思った2年間でした。
改めて、2年間を振り返って、また未来に繋げて行こうと思い、出来事を綴っていこうと思います。

2021年8月会長選任

会長就任時 facebookの投稿

会長に指名された時は、まさか自分が会長なんて、と思いましたが、総会の時は、もうやるしかないな!という覚悟の中、ドキドキワクワクと、みんなついて来てくれるかなー?という不安とで、色々な感情が渦巻いていました。

2021年11月役員選任

役員選任前のfacebook投稿
役員選任の様子
令和4年度三役

令和4年度は
尾越 専務
田野 筆頭副会長
と共に
三役や委員長副委員長、議長副議長、監事が役員として選任されました。

2022年4月通常総会にて会長方針発表

総会にて会長や委員長の方針が決議されました。
令和4年度の会長方針は↓以下でした。

令和4年度 会長方針

釧路商工会議所青年部

会長 吉 田 勝 幸


未来にビジネスの種を蒔く

~100年続く文化・産業を共に育もう~




釧路市(旧釧路市)は、本年で市制施行から100年を迎える年となる。

街は、水産業・製紙業・炭鉱業を中心に発展を遂げてきた。

しかし、様々な技術革新や環境変化により、目まぐるしく世の中も、釧路の街も様変わりした。私たち企業家は、時代が変わろうとも、人・モノ・カネ・情報といった資源を使い、時代に併せて順応していかなければならない。変革していく新たな時代の幕開けとなっている今、そこには、牽引する力強いリーダーの存在が欠かせない。


釧路の産業発展にも情熱を注いだリーダーの存在があった。漁業においては、佐野孫右衛門氏(1841―1889)が釧路の請負人(漁場持)として、釧路地方の開拓にあたり、街の発展に尽力した。また、製紙業においては、前田正名氏(1850―1921)が1900年に前田製紙合名会社を設立し、釧路の製紙業発展に繋がった。同氏は、阿寒前田一歩園の事務所を設立し観光地への発展にも大きく貢献している。


私たちYEG(若き企業家集団)は、今こそ、地域のリーダーとして、失敗を恐れず、いくつもの挑戦を重ね、様々なビジネスの種を蒔き、育んで行かなければならない。

そして、100年以上続く産業をつくりあげ、雇用を創出し、地域を発展させ、豊かな郷土をつくって行こう!



~2030年を見据えて~

地域にとって、そして企業活動やYEG活動においても、短期・中期・長期的な視野をもつ事が必要である。まず、私たちは「2030年」という様々な事がスタートする年であり、またゴールを迎える年を、一つの旗印として見据え、綿密な計画を立てながらも、挑戦的かつ大胆な行動をもって、前に進もう!


〜成長しあえる同志と〜

まずは、共に地域を良くしたいと思い、ビジネスとしても、人としても成長し合える同志を、より多くつくって行こう。そして様々なカタチでの交流や親睦を深め、知識や教養、人間力を高めよう!

同志である委員会や理事会の中で深く議論し、切磋琢磨した事業は、しっかりとメンバー内へ分かりやすく周知を行い、皆が自分ごととして捉えて、各々の立場で最高のパフォーマンスをしよう。そして私たちの活動や事業は、地域内外へ発信し、より多くの人々に伝わる工夫をしたい。正論だけではなく、格好良くて、ワクワクするような発信を行い、自然なカタチで地域全体を巻き込みながら、経済的・文化的な先導者集団として未来へ繋げて行こう!



~YEG活動を通した全国交流~

現在、YEGは全国470カ所の商工会議所に設置され、3万人以上の同志が豊かな郷土づくりのために活動している。2024年(令和6年)、釧路の地にて多くの会員との交流や活動などを発信できる好機を迎える中、全道・全国との交流を図り、当会の成長はもちろん、自身の成長、自社の成長、地域の成長に繋げて行こう!



〜スポーツ興行を育む〜

これまでも、YEGは多くのスポーツ事業を行い、人財育成や様々な環境を整えてきた。今後はスポーツをしっかりと興行にすべく、する人・観戦する人・選手や会場などの下支えをする人など、スポーツが興行となるように人財を育んで行かなければならない。釧路の文化として根付いている冬のアイススケート競技を、しっかりと興行として昇華できるように、人財育成や仕組み作りをして行こう。また、釧路の環境や風土を活かした一般市民も参加できる、新たなスポーツコンテンツを創出し、聖地化から地域活性化に繋げて行こう!



〜アウトドア人財の育成及びコンテンツづくり〜

私たち釧路市民は、日々、釧路湿原の恵みを受けて暮らしている。釧路湿原は日本で最初にラムサール条約湿地に登録された場所であり、生態系に配慮し、持続可能な形で利用して守ることはもちろんだが、ラムサール条約にはワイズユース(賢明な利用)という考え方があり、産業での利用や、憩い・遊びなどの場としての文化的な利用というものが含まれている。”資源を守り、循環させながら、経済を発展していく”という難しい局面にきている現代の中で、自然環境や独自の文化がある釧路は模範となった活動を行う使命がある。2023年には、自然やアクティビティ、異文化体験を要素とする旅行形態のアドベンチャートラベルワールドサミットが北海道で開催される。環境を循環させながらも、経済的にも文化的にも発展する事のできるよう、アウトドアの人財育成や環境整備、商品やサービスなどのコンテンツづくりをして行こう!




〜プロフェッショナル人財を育む〜

釧路市の人口は、将来予測を見ても大きく減少する傾向にある。
人口の規模が中核都市としての機能を維持させ、経済を底上げすることは間違いないが、
もう一方で、住民の経済的かつ精神的な豊かさにも目を向けなければならない。
労働の質向上やICT技術などを活用したイノベーション等による一人当たりの生産性向上によって豊かさを手に入れることが重要となってくる。

そのためには、地域内外の交流から得る様々な叡智を集結させ、各分野のプロフェッショナル人財が釧路と関わりを持って働ける環境づくりや仕組みづくりが必要となってくる。地域内外、異業種が関係性を持ちながら、アイディアを湧かせ、ワクワクしながら成長できる人財育成や新分野への挑戦を後押しできる活動をして行こう!



~共に創る地域の文化~

釧路で働き、暮らす私たちが、この街で活き活きと最高に楽しんで日々を生活していなければ、子供や若者たちもこの街を離れてしまう。当然、観光客も就労者も新規事業参入者も、楽しさや成長を感じない街は魅力的に映らない。逆を返せば、市民がプライドを持ち、楽しそうに暮らしている街には自然と人が集まってくる。

ヒアガーデンやウインターパークという釧路の気候や風土・文化を活かしたイベントや、我々が行う委員会活動にも、様々な人を巻き込み、釧路と多様に関わる人々と共に、まちづくりをする機運を高めて行こう!


~最後に~

私たちは企業家集団である。

熱い想い

明確なビジョン

目標数字

これらを、しっかりと持ち合わせた活動を行い、

地域を活性化させ、

釧路を最高に輝く街にして行こう!


準備はいいかい?


素晴らしき未来の創造へ向かって・・・。

まずは、小さな種まきが、100年後の文化を作るという事を伝えたく、方針を掲げました。

政策系委員会の組織

1年目の街づくり政策

この年は政策の委員会として
アウトドアの委員会
スポーツの委員会
働き方改革や人材活用の委員会
を立ち上げ、様々な例会や事業を行いました。

6月例会 プロ人材の活用例会
7月例会 アドベンチャートラベルに繋がるカヌー体験
9月例会 スポーツ興行の可能性
スポーツイベントと経済波及効果
10月例会 プロ人材とのワークショップ

2022年はコロナ明けで、まだマスクやパーテーションがありますが、ポストコロナにどう種を蒔くか?というカタチで各委員会は素晴らしい事業や例会を構築してくれました。

ヒアガーデのリニューアル

そしてこの年に大きな改革をしたのが、
ヒアガーデンでした。
色々な意見もありましたが、
会場をリバーサイドに移し
目的もリニューアルしてリスタートしました。

釧路のリバーサイドに会場変更

ヒアガーデンの想いはこちらに綴っております↓

ウインターパークの継続

令和3年度に開催したウインターパークも
まだコロナの影響はありましたが、
様々な仕掛けをして継続してまいりました。

2年目のウインターパーク告知
新商品 つららハイボール
アイスクロス大会の初開催

全道全国津々浦々行きました。

全道全国各地の事業にもたくさん参加しました。

紋別でのカーリング大会(道東協議会)
留萌での北海道ブロック大会
懇親会はビーチで大雨でしたが花火も上がりました。
大阪で全国会長研修会(枚方パークでの大交流)
秋田県で全国大会
札幌の道連最終理事会後の大懇親会


道連最終理事会でブロック大会釧路大会が承認された時の様子↓


組織を動かす難しさ

とにかく1年目は思いっきり駆け抜けましたが、
組織作りに苦戦し、かなり反省もしました。
会長としては、三役や委員長やメンバーの士気をあげて、一緒に作り上げていくのが、正しかったんでしょうが、会長自ら突っ走ってしまい。コンセンサスが得られないまま、進めてしまったり、根回しを怠ったりして、皆に迷惑をかけてしまいました。

ただ、イノベーション起こす時はこういった手法もあると思いますが、団体の活動としては、少し遺恨が残ってしまいましたし、逆に私自身、組織論というものを凄く深く考える、学びの多い一年となりました。

任期は一応1年だったので、次の会長に渡そうとしましたが、
結局2年やる事となりました。

2年目は1年目の反省も活かしながら、また種蒔きから、少し回収する作業もあり、
会長としては、2年やると見えてくるものがあるなぁとも感じました。

でも2年は、やはり神経はすり減りました。

なぜ2年目会長をやる事になったのか?
2年目でどんな事が起きたのか?
それは、また次回綴ります。


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