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【エッセイ】改名について思いふける中秋の晩

「もう10月かぁ。早いなぁ。そろそろ今年の流行語大賞のノミネートあるんちゃうか。今年も色々あったけど、今年はアレちゃうか。何やったかなほら、もうここまで出てんねん。アレやアレ」
「もう出てるやん。今年はアレに決まりやろ」
なんていうコントみたいな会話がそろそろ関西の居酒屋から聞こえるのではないかとほくそ笑みながら想像のリハビリをしております。

夏頃に『Twitter』が突如として『X』に名前を変えた時、SNS界隈を全然乗りこなせていない私ですら
「世の中にこんだけ浸透して認知されている名前を変えるなんて、もったいないことするなぁ。しかもXて。。」
と、権力者の念願なんぞ知ったこっちゃないとドラムを叩くYOSHIKIの姿が脳裏をよぎるのをただ眺めていた。
改名から数ヶ月経った現在、新・TwitterことXが語られる時は
未だにX(旧Twitter)と明記されている現状に、世間はまだ戸惑いと誤解の恐れの中にいるのかなぁと感じる。
十数年前だか二千円札が発行された時、使用する際は必ず「二千円札でお願いします」とうっかり千円札と間違われないように一言添えていたあの頃の自分を今の世間に勝手に重ねた。
アナウンサーが呼称する際もその都度、X旧Twitterと読み上げるもんだからだんだん聞いているうちに
いっそ「XQTwitter」って認知するのはどうだろうかと考えるようになってしまった。
そして更にいっそ『XQ』と省略するのだ。
ツイートに該当する言葉に置き換わるのはキュートってのはどうだろう。響きのままかわいいじゃないか。キュート、リキュート。
中学生あたりがつけがちな原型をとどめないあだ名みたいだ。
名付けるのは親の特権だけど、改名するのは誰の特権なのだろうかとふと考える。
そういえば、あの事務所ももうすぐ新しい名前を発表するんだっけ。
旧が要らないくらいの名前もよくなくて、いつまでも旧がつきまとう名前でもよくない。
ちょうどいい改名って相当難しいぞ。とお節介にも勝手に頭をひねる。
そういえばX JAPANも改名してそうなったんだと思考は脱線する。
再びYOSHIKIが現れ、鍵盤を奏でた。


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