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映画レビュー『Otesánek』

基本情報

邦題:『オテサーネク 妄想の子供

不妊に悩むホラーク夫妻は、アパートの隣人シュタードレル氏の勧めで購入した別荘にやって来る。夫のカレルは別荘の庭で赤ん坊のような形をした切り株を見つけると、ノイローゼの妻ボジェナをなぐさめるために切り株を赤ん坊の形に整えてプレゼントする。ところが、ボジェナはその切り株を息子と思い込んで溺愛し、自分が産んだと見せかけるために妊娠したように振る舞うようになる。

カレルは何度も切り株を処分しようとするものの、結局は妻の望みを聞いてやってしまう。そして8か月が過ぎたところで、ボジェナが出産したふりをすると、「オティーク」と名付けられた切り株は自らの意思で動き出し、恐ろしい食欲であらゆるものを食べるようになる。

wikipedia あらすじ

監督

ヤン・シュヴァンクマイエル(1934~、チェコスロヴァキア)
1983年『対話の可能性』:ベルリン国際映画祭短編部門金熊賞
1987年『アリス』

 現実と夢を綯交ぜにした作風。ストップモーション・アニメーションを多用したCGに頼らないアナログ主義。

感想

 アマプラでたまたま見かけたので興味本位で見ました。最初30分は構成やカメラワーク、トランジションが陳腐で「あまり期待できないかなぁ」と思っていましたが、終わってみればかなり纏まりの良い映画で、構成も面白かったです。

 元の民話のストーリーは至ってシンプル、バッドエンド版桃太郎みたいな雰囲気を感じました。切り株が化け物になり、それが人々を襲う。そして最後は斬り殺されてみんな助かるという至極単純な物語。

 しかし、この映画ではそれに加えてホラーク夫妻の世間に対する見栄や病的な母性などが盛り込まれているし、民話よりも人間の本能に焦点を当てていてただのリメイクになっていない点は非常に良かったと思います。
 何よりも、アルジュビェトカというある種主人公的な立ち位置の大人びた少女がオティークを育てる夫妻を客観視できる「民話の語り部」の役割を担っており、現実離れしているストーリーと聴衆を繋ぐことに成功しています。

 また民話が映画のストーリーを追い越しているため、ある意味でネタバレ的な形になっていますが、そのせいでストーリーの展開に関する衝撃や意外性は失われています。大どんでん返し!みたいなのは無いです。

 ただ、アルジュビェトカが終盤にオティークに愛情を持ち始めたところからはこのシステムが良い意味で裏切られます。この点がこの作品の優れていて面白いところだなぁと思いました。
 それまで語り部として客観的な視点を聴衆に提供していたアルジュビェトカが、民話にあるようなオティークが死ぬ運命を変えようとしていました。(結局は民話通りになりますが)
多分、民話の方を先に全て語りきってしまっていたのはこの辺りの構成と辻褄を合わせるためであったのかなと思います。少なくとも、先にネタバレする形をとった事にプラスの意味を持たせることができます。

 そして映画の最後、アパートの管理人がクワを持ってオティークの元に向かいますが、わざわざそこを描かなくてもストーリー的には何にも問題ないのはここまでの構成によるものです。
 返り討ちにあったかもしれないし、倒し切れたかもしれない。しかしそれは全く重要ではないのです。

 こんな構成になっているからこそ民話という単純なストーリーに準拠しつつもオリジナル性を失わない優れた作品に仕上がってるのだと思います。

 また、映像関係で言うとオティークの動きをコマ送りで撮影してたのが斬新だったなぁと思います。公開された2000年には少なくともある程度のCG技術は確立されていたはずですが、アナログ主義的で逆に新鮮に感じました。ジュラシックパークも1993なので。
 実際、ホラーク氏がオティークを縛るシーンだったり福祉事務所の職員が喰い殺されるシーンのように(おそらく)着ぐるみを着て演じている箇所が見受けられますが、ずっとあれだとなんか安っぽく見えるきがします。多分CGを使っても「コレジャナイ感」は出るだろうなと思います。敢えてコマ送りという安っぽい技法を用いることで、安っぽさを回避しているのだと思います。


 ストーリーは至ってシンプルなので「超面白かった!」って感想にはならないんですけど、アート性や監督のこだわりが存分に発揮された作品だと思いました。他の作品もチェックしたくなりました。チェコだけに。

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