見出し画像

毒親育ちと「断る」こと


今日は、毒親育ちが社会でサバイブしていくために必須のスキルと思われる「断る」ことについて、私自身の経験と考えていることを書きたいと思います。
皆さんは断ること、得意ですか、苦手ですか?
毒親育ちでなくても、つい周りの目ばかり気にしてしまう、断る勇気がもてない、という方にも、読んでいただきたいです。



1 「断る」ことは練習すれば上達できる


私は、今は断ることが得意になったと自負しています。
以前はとても苦手でしたが、意を決して練習を繰り返し、今は得意になりました。


私は、以前、親からのお願い事はもちろん、交際相手のわがままから、仕事で先輩からお願いされたことやクライアントからの過大な要求等、すべてにおいて、断ることが苦手でした。


断ると、当然ながら、相手の期待を裏切ることになり、それを相手によっては、怒りで表現してきたり、私に冷たくしたりするという行動に出ることがあります。場合によっては、報復されることもあります。
また、仕事であれば、当然ながら、断れば、断らない人の方に仕事がいくようになります。


断れなかったのは、そのような事態になるのが怖かったからです。
だから、私は断れずに、皆に良い顔をして、引き受けていました。


特に、毒親育ちは、自分がどう思うかどう感じるかではなく、相手がどう思うかどう感じるか、ということによって、自分の行動を決めてしまいます。
親の顔色を見て、親の機嫌を損わないようにしていなければ、
子ども時代を生き延びることができなかったからです。
小さいころからそのようなことを繰り返していますので、
断る以前に、自分がそれを断りたいのかどうかさえ、認識できないこともあります。
そして、引き受けた後に、あれ?自分これやりたくなかった・・・という事態になることもあります。




すべて引き受けていたころの私は、パンク寸前で、ちっとも幸せではありませんでした。頼み事をしてきた相手に対して怒りがわいてきたり、断れなかった自分を責めては落ち込んだり。
仕事も、やりがいどころか、意味を見出せず、とりあえず形だけやる、だから成果もあまり上がらない、という負のループにはまってしまいました。


薄々自分でも気づいていました。断って自分の荷物を減らせばよいのではないか


でも怖くて踏み出せない・・・


その繰り返しでした。


しかし、そうこうしているうちに限界になったのでしょう。


あるとき、体が悲鳴を上げました。それで、ついに私は、断ることで自分の荷物を減らそうと考えはじめました。


人は長年の習慣を変えるためには、多くのエネルギーを要します。


そのため、最初はうまくいきませんでした。


そこで、なかなかうまくいかない期間を1年くらい過ごした後、
少し極端な方法で練習をしてみることにしました。


自分の直感で気が乗らないことについては、すべてノー!!を言ってみることにしたのです。
私は映画好きなのですが、以前観たことのある映画で、「イエスマン」という映画にヒントを得ました。その主人公は、イエス!!ということに慣れるため、すべてのことにイエス!!を言っていました。


その真逆のことを私はしてみたのです。
さすがに、すべてのこと、とまではいきませんが、心に違和感を覚えることについては、相手からどういう感情を向けられるかということや、自己保身、お金の心配など、すべてかなぐり捨てて、ノー!!を言ってみることにしたのです。


すると、どうでしょう。最初はおどおど断っていたものが、だんだんと自信をもって断ることができるようになっていきました。


そして、自分にとって嫌なことを言ったり、嫌なことをしてくる相手、要は自分のことを人として尊重してくれない相手とは、関係を解消したり疎遠にすることもできたのです。


仕事の面では、自分が納得して引き受けたことだけが手元に残る形になりましたので、納得感をもって、やりがいを感じながら向き合うことができるようになりました。


そして、私は、重い荷物を下ろすことができたからか、それ以前よりも体調も良くなり、健康的になりました。



もちろん、その過程で離れていった人もいます。がっかりした人もいるはずですし、がっかりしたことを直接伝えてくる人もいました。
そんな時は、心が揺れ動きました。


でも!私は人を喜ばせるためにだけ生きているのではありません。
まずは、自分が幸せになるために生きています。
自分が幸せになって初めて、周りの人を喜ばせたりすることができると考えています。


迷った時は、そこに立ち返って、自分を鼓舞し、ノー!!の練習を積み重ねました。
現在、ノー!!の練習を始めて5年目になりましたが、当初よりとはくらべものにならないほど、ノー!!が得意になりました。


そして、この5年間で、間違いなく私は、幸福度がアップしました。


以上の経験から、今断ることが苦手であっても、日々の生活で練習を積み重ねることで、
断るスキルは必ずアップすると思っています。



2 それでも苦手な「親に対するノー!!」


しかし、そうはいっても、毒親育ちの方にとって、特別に苦手な「ノー!!」があると思っています。


それは、「親に対するノー!!」です。


私も、今でも、親に対して瞬時に「ノー!!」をいうことは、苦手です。


ひとたび親を前にすれば、たとえそれが生身の親が目の前にいる状況ではなく親からの手紙が目の前にある状況であるとしても、心も体も、あの親の愛情を求めて傷つきながら必死に生きていた子ども時代に引き戻されてしまいます。


すると、堂々と「ノー!!」を言うことなどできません。


手紙を開けなければならないのでは?何か対応しなければならないのでは?
大変なことでも起きたのか?私のせいで家庭が崩壊するんじゃないか?
私は冷たい娘なんじゃないか?
と、逡巡し、激しく心が揺さぶられ、悩みます。。。


でも、今の自分の心身と生活を守るためには、対応することはできないと思い直し、信頼できる人や専門家に相談して、ようやく対処を決められるというありさまです。


そして、相談をした人たちは、親に対して怒っているのに、一番の当事者であるはずの自分はすぐに怒りを感じることができず、数週間経ってようやく怒りでいっぱいになり、
何とか、自分の心で「ノー!!」といえる状況。


そのような感じです。


せっかく断るスキルを上げたのに、一番肝心な場面で力を発揮できないのか、と落ち込んだこともあります。


きっと毒親育ちの方たちは皆さん、似たような状況なのではないかと思います。


ただ、そのとき、私が相談している先生にいわれたのは、
反射的に手紙を開封したり、対応をしなかったのは、これまで親との関係において身に着けた不健全な習慣を努力して変えてきたからでは?
また、だれかにヘルプを求めることができるようになったのも、成長では?
親との関係では子どものころの心に引き戻されちゃうのは仕方ないよ。
ということでした。


これにより、私は自信を取り戻せました。


と同時に、「断る」というのは、いつでも一人でやらなければならないことではないのでは?と思うようになりました。



3 他者の力を借りて「ノー!!」を言ってもOK



「断る」というのは、相手に「ノー!!」をいうことですから、
相手に対して立ち向かうことを意味します。


相手に対して立ち向かうとなると、そのときの状況や相手によって、
一人では立ち向かう力がないときや、勇気が持てないときは、
当然あると思うのです。
また、一人で立ち向かうべきではないときもあると思います。


そういうとき、私たちは、一人で立ち向かう必要はなく、周りの人に助けを求めたり、専門家の力を借りたりすることができるし、
それで問題ないということです。


これはとても大きな気づきでした。


ついつい私たちは一人で立ち向かわなきゃと思い、それが無理だと感じると、本当は断りたいのに断ることをあきらめるというこも多いように思います。


そんなとき、自分だけで「ノー!!」を言わなければと思わず、
誰かを頼ることができれば、断ることをあきらめる必要もなくなるように感じます。


私は、弁護士として、親からつきまといを受けている人の代理人として、
親に対してそのような行為をやめてほしい旨の内容証明を送るという業務をしています。



この業務も、
一人では親に対して「ノー!!」をいえずに困っている人が、
声をあげるための助けになっているのかもしれない、
ということに気づきました。



今まで自分の仕事をそのような視点で見たことはなかったので、大きな気づきでした。
私は、毒親育ちで悩んでいる方が、親に対して「ノー!!」というお手伝いをしているんだ、と思うと、
自分が他者の力になれていると感じ、とっても心があったかくなりました。



助けを求める相手は、自分が安心して助けてといえる人であれば必ずしも弁護士である必要はありません。
そういった他者のサポートを得て、
自分が本心から嫌なことに対しては「ノー!!」を言う、声を上げる。
それが、人生の幸福度をあげることにつながるように思います。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。
















 


 


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?