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「家」が愛で満たされると「我が家」になる。



今回は、「家」をテーマに書きたいと思います。



以前は「家」という言葉を聞いても、
とりあえず夜を明かす場所というイメージしか持てませんでした。
しかし、今は「家」と聞くと、
とても温かな気持ちになります。
「我が家」という言葉もしっくりくるようになりました。
外で嫌なことや不快なことがあると、
早く家に帰りたいとさえ思うようになりました。



そのことを書いてみたいと思います。



1 以前の私にとっての「家」



幼少期から必ずしも「家」が安心できる環境でなかった私にとって、
「家」とは、ずっと以下のようなイメージでした。


・とりあえず屋根があって雨風がしのげる
・夜を明かせる
・寝る場所


最初は親と一緒に暮らしている家、
その後は一人暮らしの家(二度引っ越し)、
パートナーと同棲・結婚後はパートナーと二人暮らしの家、
と「家」自体は変わり、
一緒に住む人も変わっていきましたが、
「家」というもののイメージはずっと変わりありませんでした。



パートナーと家庭を持って数年経過し、
ようやく家族を得たんだという安心感が少し芽生え始めるころまで、
私にとって「家」は、
「テント」のような感覚でした。



「テント」というのは、
キャンプや登山の時に一時的に使用するものですよね。
私にとって「家」は、
一次的なもの、
かりそめのもの、
不安定なもの(ずっとそこにあるはずのないもの)、
というイメージしか、長年もつことができなかったのです。


きっとどこにも自分が根をはっている感覚が持てなかったからだと思います。
いつだって根無し草、
いつだって自分の人生は砂の上に立っている
そんな感覚をもってきたからこそ、
本来一番自分にとって物理的な安心基地になるはずの家が、
「テント」でしかなかったのだと分析しています。



そのため、睡眠中も、すぐに目が覚める、
夜眠る時も、狩の最中に休憩しているだけ、といった感覚でした。
当然、「家」にいても、リラックスする感覚を持つことはできませんでした。
いつも誰かに監視されているような緊張感がありました。
今は安全でも、この安全は続かないという漠然とした不安がいつも
つきまとっていました。


2 「家」が「我が家」になっていく


しかし、パートナーと家庭を持って数年経過し、
結婚生活が安定して、
ようやく家族を得たんだという安心感が少し芽生え始めたころ、
「家」に対するイメージも少しずつ変わってきていることに
気づきました。



それまでは、パートナーが「家」のことを「我が家」と呼ぶ時、
「我が家」??という感覚だったのですが、
このころから、
「我が家」という言葉が妙にしっくりくるようになっていったのです。
そして、「家」への関心が増し、
インテリアをよりリラックスできるようなものにしてみたくなったり、
料理についても凝った料理よりも家庭料理が好きになったり、
家で楽しめることを考えるようになったり、
色々と変化がありました。



4年前、令和になる時の10連休がありました。
あの時、仕事を完全に休みにして、
ずっと毎日、家のことと料理ばかりしていたのですが、
それがものすごく楽しくて、幸せで、
びっくりしました。



あれ?私、「家」でものすごく幸せを感じている。
なぜだろう?
そう思った時、「家」がただの箱ではなくなったからだと気づきました。


「家」に、自分と愛する人たちの生活があって、
その生活の中で、「愛」を得ているから、
いつのまにか「家」はただの箱ではなくなったのだと気づきました。
当然、「家」をテントのような仮のものと思う感覚もなくなっていました。



「家」が愛する人たちとの生活そのものの象徴になっていったのです。


それがわかった時、
私は、自分の家のことを、臆することなく「我が家」と呼べるようになりました。



3 「愛」で満たされる「家」を作りたい


同じ「家」でも、こうもイメージが変わるものか、と不思議でした。
いくら立派な「家」という箱があっても、
そこが「愛」で満たされていないと、「テント」としか思えない、
それほどに、「愛」がパワーをもっていると知りました。


私はこのような体験ができたことはとてもラッキーだと思っていて、
そのことにとても感謝しています。
ただ、この感覚を、もともと生まれ育った家でもつことができた人たちもたくさんいるんだよな~と思うと、ちょっと複雑です。
やはり「家」が安全基地だったならば、
これまで外の世界でプレッシャーに押しつぶされそうになったり、
いじめなどつらい目にあった時、
どれだけ力を得ることができたのだろう・・・とついつい思ってしまうからです。


だから、せめて、自分の子どもには、
私と夫が「愛」で満たされる「家」を率先して作っていくことで、
「家」=安心できる居場所としての「我が家」
というイメージを持ってもらえるようにしたいと思っています。



そして、子どもの人生と心が「愛」にあふれるものになるよう、
心から願っています。
また、子どもがもし将来自分の子どもをもつ時がきたら、
幸せな「愛」のバトンを引き継いでほしいとも願っています。



そのためにできること、
それはコツコツ日々家族への「愛」を伝えながら、
行動していくことだと思っています。




以上、「『家』が愛で満たされると『我が家』になる。」でした。



今回もお読みいただき、ありがとうございました。
このnoteは、毒親育ちの方にとって役立つ情報を取り上げる目的で作ったので、目的にはそぐわないかもしれないのですが、
「毒親」のことばかり書くのは、正直申し上げて精神的にしんどく、
今後は、このような「愛」についても取り上げたいと思っています。



私は「愛」について書いていると、
心がとてもあたたかくなって、
脳内に、きれいな音楽が流れ、
美しい希望に満ち溢れた情景が浮かびます。


形や方法は違っていても、
愛にたくさん泣かされてきた毒親育ちにとって、
愛は大いなる希望でもあるのではないかと感じています。



今後もお付き合いいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。








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