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ピラミッド型からホラーキー(入れ子)型へ:発達段階の見方の変化に伴って教師と学校の役割も変わる

これまで発達段階については、多くの場合、青年期までの発達過程で見られる特性が対応する年齢層とともに示され、ピラミッドのように上に積み重なっていって一番上で完成する形でイメージされてきました。

このイメージに基づいて教育について考えると、発達のピラミッドの頂点に立つ完成した存在である教師が未熟で能力の低い子どもたちを教え、導く形になります。教師が教え導く知識や技能をそのごとくに習得できる子どもたちは、より上の階層へと進んでいきますが、下の階層に取り残される子どもたちも多く生まれます。その結果として、大人も子どもたちも年齢や学力、大人になってからの収入などによって階層化され、階層が上の者が下の者を支配する支配と服従の関係が固定化されます。

大人になるまでに一定の知識と技能を習得すれば、その知識や技能をそのまま用いて生涯暮らしていける社会であればピラミッド型発達論のイメージに基づいて教育を行っても、大きな問題はありませんでした。

ところが、21世紀に入って社会が急激に変化し、学校で学んだ知識や技能だけでは対応できない状況が見られるようになってきました。インターネットによって年齢や住んでいる場所の違いを越えた多様な人々とのコミュニケーションが容易になったことで、学校で教師から学ばなくてもインターネットを使えば必要な知識や技能を学ぶことができる状況が生まれています。さらに2020年に発生したコロナ禍によって、インターネットで学べる環境の普及が進んだことで変化がさらに加速されました。

一方、21世紀になって人間は生涯発達し続けることができるとする生涯発達論の考え方も少しずつ広がりを見せています。拙著『「ちゃんとしなきゃ」から解放されて自分らしく成長する教師になる方法』で取り上げている生涯発達段階論である自我発達段階論は、1976年に発達心理学者のジェーン・レヴィンジャーが提唱し、スザンヌ・クックグロイターが発展させたものです。クックグロイターの自我発達段階論では、古今東西の様々な発達段階論を統合的に捉えたケン・ウィルバーのホラーキー(入れ子)構造による発達論の見方を明確に取り入れています。

ピラミッド型の発達論では上の段階が下の段階に「取って代わる」形で特性が変化すると捉えますが、入れ子型の発達論では後の段階が前の段階を「超えて含む」形で特性が変化します。

「超えて含む」ということは、発達が後の段階へと進んで後の段階の特性を示すようになっても、それまで歩んできたすべての段階の特性を内側に含んでいることを意味します。だから、クックグロイターは発達が後の段階へと進むほど「包容力が増す」と表現しました。具体的には発達が後の段階へと進めば進むほど、多様な視点を持つとともに視野も広がることになります。

入れ子型発達論の各発達段階には、前の発達段階は強い生命力を持つのに対して、後の発達段階は包容力が増すという違いはありますが、どの発達段階が優れているとか劣っているという見方はありません。入れ子構造の発達が健全に進んだ場合、それぞれの発達段階の特性を生かしながら互いに学び合って、それぞれのペースで成長や発達を進めていくことになります。

このような生涯にわたる発達を前提とする入れ子型発達論に基づいた場合、学校の教師はもはやピラミッドの頂点に立っていることはなく、子どもたちとともに生涯にわたって学びながら成長し続ける存在になるでしょう。そのため、今後、教師の役割の重点は、知識や技能を教えることよりも、多様な発達段階に特有の見方・考え方があることを踏まえながら、中立・対等・公平な立場で安心・安全に話し合うことのできる場を保障するファシリテーターとしての役割や子どもたちの発達課題を理解し、子どもたちが自らのペースで自分らしく成長・発達することを支えるコーチとしての役割に移行することになると思います。

なお、発達の過程で、何らかの理由により特定の段階の発達課題となる経験ができない場合に、その経験に固着したり、逆に拒否したりすることがあります。クックグロイターが欧米の成人を対象に行った研究では、これらの病理現象を持つ人々と健全に発達を続けている人々の区別がなされていません。そのため、クックグロイターが示した各自我発達段階の特性にはネガティブな表現も含まれています。拙著では、小学校から中学校の子どもたちの自我発達段階の発達に関する研究を踏まえて、各段階の発達の病理現象による特性と健全な発達における特性を区別して示すようにしています。


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