見出し画像

台湾は中国なのか/知ったかぶりの床屋談義 Vol.4

床屋の主人「中国が台湾に攻め込むって話ですが、そもそも中国としては台湾は中国の一部なんですよね?中国と台湾の関係がよくわからなくて」

中国が台湾に侵攻するのではないか、いわゆる台湾有事の可能性が取り沙汰されている。そもそも中国と台湾にはどういう歴史があり、どういう関係なのか。

台湾の歴史

ポルトガルによる発見以前(〜1624年)

台湾が地質学的にいまの地形が形成されたのは約1万年前くらいといわれており、この頃からオーストロネシア語族の台湾原住民が居住した地であったが、16世紀にポルトガルによって「発見」されるまで、長らく歴史には登場しない未開の地だった。

オランダ統治時代(1624〜1662年)

16世紀以降、漢民族や日本人が台湾に少しずつ居住しはじめるが、この頃の台湾には国家が存在せず、いくつかの部族が共存していたようだ。最初に台湾を領有したのはオランダ。つづいてスペインも領有を行った。先住民族たちは大肚王国(だいとおうこく)としてまとまった。

Dutch_and_Spanish_Taiwan_zh-hant.svg: Furfurthis file: DGRJ, CC BY-SA 4.0

のちにオランダがスペインを追放し、台湾はオランダの植民地となった。オランダ統治時代である。オランダは開拓の労働者として大陸から多くの漢人を移住させた。台湾に中国系の住民が入ってきたのはこの段階なのだ。

鄭成功政権時代(1662〜1683年)

そのオランダを台湾から駆逐したのが、中国人海賊と日本人女性の血を引く鄭成功(ていせいこう)だ。このころ中国大陸では漢民族の明から満州族の清へと王朝が移行する、いわゆる明清交替が起きていたが、彼は「反清復明」を唱える明朝側の軍人として大陸から台湾に移り、ここを拠点とするためにオランダを追放した。1662年のことである。以後、約20年間この地を支配した。

清朝統治時代(1683〜1895年)

反清勢力の撲滅のため清朝は1683年に台湾の鄭政権を制圧し、翌1684年にここを福建省台湾府とした。現在の中国は台湾は昔から中国の領土だったということを主張しているが、実際にはここが最初の領有となる。しかも清朝は台湾を正式な領土としたものの、野蛮な「化外の民」が住む「化外の地」とし、開拓などはせずに放置状態だったようだ。

中国人がやってきた

やがて日本や欧米列強がアジアへ進出するなかで清朝は台湾の国防上の重要性を認識し、1885年に福建省から分離して台湾省とした。しかし約10年後の1894年に清朝が日清戦争に敗北したため、締結された下関条約によって翌1895年に台湾は大日本帝国に割譲された。

日本統治時代(1895〜1945年)

日清戦争に勝利した1895年から太平洋戦争に敗北する1945年までの50年間は日本が台湾を統治した。交通網の整備、教育制度の確立や上下水道の敷設、ダムや用水路の建設、地方選挙制度の施行など、日本は台湾の近代化のために多くのことを行ったが、日本人の支配にたいして原住民や漢人による抗日武装運動も少なくなかった。

日本人がやってきた

中華民国統治時代(1945年〜)

第二次世界大戦に降伏した日本は武装解除を行い、蒋介石が率いる中華民国が台湾に上陸した。台湾の人たちは日本からの開放を喜んだようだが、中華人民軍が多く入り込んだことで治安が非常に悪化、政治の腐敗が横行したことで、もともと台湾にいた人たちが蜂起、中華民国は徹底的にこれを潰し、2万8,000人ともいわれる民衆が殺害された(二・二八事件)。蒋介石はこれを機にさらに恐怖政治を行った。

台湾遷都(1949年〜)

当時の中華民国では国民党と共産党が内戦を繰り広げられていた。もともと中華民国を率いていた蒋介石の国民党だったが、しだいに共産党の勢力に圧倒され、南京を追われた蒋介石は台湾に移住し拠点とした。ここが歴史のポイントとなる。中華民国が国民党と共産党に分裂し、国民党は大陸を追われて台湾に移り、共産党は毛沢東を主席として中華人民共和国の建国を宣言した。中華民国の旧政権が台湾に追いやられ、新政権が中華人民共和国となったことで、新旧どちらも我らこそ中国の正統政府だと主張するにいたったのだ。元祖中国と本家中国との対立である。

中華民国から台湾へ(1971年〜)

共産党が中華人民共和国を建国したことで中国は分裂することになったが、冷戦下の微妙な政治情勢のなかで1971年に国際連合で中華人民共和国が中国の代表権を獲得したことで、多くの国は中華人民共和国を中国の正統政府と認めることになり、中華民国は国家ではなく地域となった。しかし日本やアメリカなど資本主義陣営では中華民国との関係を継続するために、中国が実効支配していない地域として国家のような扱いを続けてきたのである。

台湾の二大政党

民主化する台湾

1996年には台湾総統を選出する選挙が行われ、国民党の李登輝が総裁に選ばれた。これは台湾ではじめて行われた直接民選選挙であり、以後、民主化が進められた。2000年には民進党の陳水扁が総統に選出され、政権交代が実現する。

民進党と国民党

台湾では現在、民進党と国民党の二大政党制が確立されている。民進党は中国からの独立を志向する政党で、国民党は中国との関係を重視する政党。もともと国民党は大陸から追い出された政党だが、我らこそ中国の正統政府であるという立場なので、理想としては中華民国として中国を統一したいのだけど、現実的にそれは難しいからとりあえず中国と一緒になろう、ということで親中派となっている。わかりやすくいえば民進党は自分たちは台湾人で台湾が祖国だと思っていて、国民党は自分たちは中華民国人で中国が祖国だと思っている感じ。

台湾人としてのアイデンティティ

いまは蔡英文が率いる民進党が政権与党となっている。いまの台湾の多くの人たち、とくに若い人たちは、自分たちは中国人であるというアイデンティティはなく、オランダや日本、中国に統治されるずっと前からここにいた台湾人であるという感覚なのだろう。

現実味を帯びてきた台湾有事

はたして台湾有事はあるのか。ここ数年で台湾有事が現実味を帯びる出来事が続けて起きている。

中国に飲み込まれた香港

香港は1997年にイギリスから中国に返還されたが、中国は資本主義が根付いていた香港をすぐに社会主義化させるのではなく、外交・防衛を除く分野で高度の自治を50年間維持すると約束、中国の「特別行政区」として資本主義、独自の通貨、司法の独立、言論の自由などが認めらる、いわゆる一国二制度がとられた。しかし2020年、香港市民たちの大規模なデモが行われるなか、香港国家安全維持法(国安法)が施行されて言論の自由が封殺、2021年には選挙制度の改変が行われ、50年間が約束されたはずの一国二制度は期限となる2047年を待たずに崩壊した。

ロシアに併合されたクリミア半島

これは中国には直接は関係はないが、台湾の人たちにとっては他人事とは思えなかったのではないか。ロシアが工作によってクリミア半島を併合した事件だ。2014年、黒海に浮かぶウクライナ領のクリミア半島で独立を問う住民投票が行われ、賛成多数によりウクライナからの独立を宣言、ロシアと条約を結ぶという形でロシアの一部となった。国際社会はこの併合を認めていないが、事実上はロシアが支配をしている。

台湾に話を戻すと、中国は武力行使をしなくても、台湾の国民党を後押しし、台湾の民意という形で併合するということもありえる。ロシアは実際そのようにしてクリミアを併合したわけで、そういうこともできるんだ、という実績ができてしまったのだ。

ちなみにこのことは日本にとっても対岸の火事とはいえない。沖縄でも起こりうることなのだ。実際沖縄では琉球王国として独立しようという勢力が存在する。そしてそれを中国が支援し、関係を強化するというシナリオもありえることは認識しておく必要があるだろう。

台湾は中国のものなのか

そもそも中国が主張するように台湾は中国の一部なのだろうか。中国は台湾にかぎらず東シナ海から南シナ海にかけて自国の本来の領土であると主張し、強硬な海洋進出を行っているが、いわゆる九段線は2016年にハーグの仲裁裁判所によって「法的根拠がなく、国際法に違反する」と判断されている。

台湾の歴史を見てみても、中国が台湾を領土としたのは1683年に清朝が台湾の鄭成功政権を制圧したときが最初で、それまで台湾はずっと台湾だった。中華民国が統治しはじめたときでいえば1945年である。中国が主張するように太古から領土だったという歴史的事実はまったくない。

「台湾に中国が入り込んだのは17世紀なので、昔から台湾が中国の一部だったということはないですよね。台湾は台湾なんだと思いますよ」





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?