僕の経営者人生

高校を卒業した僕は定職にも就かず、
高校在学中に、なぜ高校に入学して勉強する気も無いのに毎日学校に通っているのだろう。
なぜ生まれてきて働かないとダメみたいな世の中の空気なんだろう。
この世界に生まれ落ちて、18年間ずっと学業に励んできて【適当に】大学に進学しないなら
働くみたいな空気なんだろう?
もちろん生きる為にお金を稼ぎ
働かないとお金が貰えないって決まりきった常識を、みんな何の不満もなく遂行できるのだろう?
みんな凄いな。俺はダメ人間だ。
って毎日思っていた。
そんな状態で高校を卒業して進学もしなかった。

いきなり世の中に放り出された感じで
えっ?この先は特にレールないの?
逆にどうすればよい?
まるで人生を他人事のように考えるくらい
世の中に不満を抱いていた。

当時からなぜか左翼的な発想をもち
警察や公的な制度などに不満を抱える青年だった。

思い返すと親父も中学校の教員をしており
毎日決まった時間に家に帰り、母親との関係も悪く、酒を飲んでるだけの人だった。

周りの友達はみなバイトや現場職人などを始め、僕も周りの空気に従うようにアルバイトを始めた。
地元のパチンコ屋のホールスタッフだ。

毎日、パチンコをする為に開店前から店の前に並ぶお客様を迎えて、大当たりが出ればマイクで祝福の言葉をいれる。

「〜番台ビックボーナスゲームスタートっ!おめでとうございます」大当たりした人に玉を入れる箱を運び渡す。

週に5日の9:00〜18:00
時給は1050円
当時のアルバイトの相場で考えると少し高め
パチンコ屋はなぜか時給が高いから始めた。

そして給料日
金額は手取りで15万程度だった。

周りの同級生も初めての給料で、
今まで10万円を超える現金を手にする機会が無い人がほとんどなので、友達は満足げな奴だったり、社会人の仲間入りを果たし
みんな嬉しそうで、集まって
そのお金で遊びに出かけたり、車を買って
美味しいご飯を食べたりしていた。

ただ僕は違った。
みんな嬉しそうなのに。。。

なぜか僕は、こんなに1ヶ月自分の時間を注いでこの世界ではこの金額しか稼げないのか?
他の周りも同じくらいの金額で、
稼いでる奴でも手取りで30万とかが関の山だ。

えっ?みんなそれで良いの?
でもみんな、なんの不満も無さそうにしていたから僕も満足しないとって同調的に思考を変えていた。

ただ時間が経つにつれて、やはり僕にはダメだった。朝起きて仕事に向かう前に
こんな行きたくもない仕事に時間取られて
お金もそんなに貰えない事に嫌気がさしておりやってはいけない事を繰り返す様になる。
当日欠勤だ。
あらゆる嘘で固めて、仕事を休むを繰り返していた。

結果は見えていた
クビ

そんなんで僕のパチンコ屋アルバイトは8ヶ月程度で幕を閉じた。

その後もあらゆるアルバイトを経験した。
ガソリンスタンド
海の家
缶ジュースの補填業務
日貸しの金融業
パチンコ屋の桜

など
全ての仕事を適当にこなして、たまにバックレてどうしようもない人間だった。

パチンコ屋の桜に関しては
その店舗の部長の息子が毎朝や
スロットの設定をメールで教えてくれる。
設定とは勝ちやすくなる段階的な店側の設定だ。1から6まで存在して
6が1番客側の勝率が上がる設定だ。

毎日の様に設定6の台を事前にメールで受け取り、朝は開店1時間前から並び
10:00〜23:00までノンストップで
台を打ち、出た金額の半分をもらえる
とんでもなく稼げる仕事だった。
多い日で1日10万円にもなる仕事で、月に100万くらい稼ぐ月もあった。

こんな闇バイト的な事も経験した。

ただこの仕事は後に店側にタレコミがあり
警察沙汰になりかけ、途中で終了したが
1年ほどやった。

その後
先輩からの連絡で塗装職人の手伝いに来てみないか?と誘われた。
僕は職人の業界は日曜しか休みがなく、朝もかなり早い時間に起きる仕事で、絶対俺には長くは出来ないと思っており、軽い気持ちで手伝う事になった。

初めての職人の世界は、僕が想像していた
ちゃんとした会社とはかけ離れていた。

働いたらその分、毎月給料として支払われる
と言う、あまりにも常識的な概念を崩されたのだ。

当時の親方「社長」は
いつも現場には居ない。
失敗するとヘルメットの上から殴られる。
帰りは親方をパチンコ屋に降ろす。
朝は現場に行く前にパチンコ屋に降ろす。
夜はキャバクラで飲み明かす。
もちろんお代は親方持ちで、さすが親方
飲み代は出してくれるのか。なんて思っていた。

給料日になり
仕事後に夕方親方の家にみんな集まる。
親方から一言
「今月結構飲みに連れて行ってあげたよな。
給料から引いといたから」

給料袋を貰う。
ペラペラの袋
中身を見たら4万円前後だったと思う。

えっ?はっ?
すぐに何故か冷静に戻り
当時毎日仕事ばかりで
お金に無頓着だった為、確かにキャバクラでたくさん飲んだのは間違いないな。

こちらにも原因があるので、我慢した。
言いたい事たくさんあったけど、言われた事は確かな事だったし、世の中の給料のルールとか労働者の権利とかそう言う知識は皆無だったので、そんなもんかと流した。

そして、3ヶ月目の給料日に
親方から給料が払われなかった。
理由はお前はまだ、若造で使えないから
給料なんか無いと言われた。
多分本当は会社のお金を使い込んでお金が無かったんだと思う。

俺は退職した。
最初は手伝いのつもりだったのが、
気がついたら社員と同じくらい仕事をしていた。

ただその頃、仕事の内容は
建物に色を塗っていく業務自体は嫌いでは無かったし、仕事帰りはなぜか充実した気持ちでいっぱいになっていた。

そんな事もあり、
次の働き先も同じ塗装屋さんに目星をつけて
仕事探しを始めた。

次の章へ続く
次回「やりたい事の発見と見える世界の変化」

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