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12日間 ~”延命”が受理されるまで~


2021年3月23日 火曜日

緊張はどこ吹く風。
いつの間にか二度寝をして、看護師さんに起こされる。

飲水を口に出来るのが7時00分まで。
起こしてもらったのは7時04分。

『少し過ぎてますけど、お水飲めなくなるので、今、飲まれても大丈夫ですよ』

6時くらいに起きて、お水飲んだからいいかなぁ、と、思いながらも水筒に手を伸ばし、一口飲んでいたりする。
人間って不思議だ(人類の広さにしなくていい)

二度寝しようと思ってたわけじゃなく、手術の為に少しでも体をリラックスさせようと思った。

まだわずかに痛む体をベッドに沈めながら浴びた光。

“うーん、気持ちいいなぁ”

夕焼けの濃ゆい茜色、それに黄色をわずかに足して柔らかくなった朝焼け。
痛む左側、温かさと光を浴びながら、痛みが和らぐなか目をつぶる。 

そして、起こされた7時04分。

手術当日。

神聖な儀式を受けるようだ。

ベッド周りを整える。
きっと痛くて動けないだろうから、手が届く位置に必要なものを配置していく。

これを書いているのは手術2日後。
記憶がもうすでにあやふや。
時間軸がはっきりしないので、手術室に向かう前に何をしたのかを書こう。

手術着に着替え、手術中、血栓が出来ないように、きつめの靴下を履く。右腕には、手術中、そして、その後にも必要な留置針を刺した。

9時前、準備が整い、看護師さんと手術室へ。
自分の足でしっかり歩いていく。

最初に運ばれた手術室が、緊急手術室だと教えてもらった。
今日は、前日から僕の手術の為に用意された場所へ。

看護師さんが自動ドアの前に立ち、僕の名前を告げ、到着したことを伝える。
確認作業がとれ、大きな自動ドアがゆっくりと開き、手術室への道が開かれる。

手術室入り口で被った、頭をすっぽり覆う帽子。見渡したその場所は、まるで、映画のセットのような広いフロア。
そのフロアの真ん中、奥にある手術室。その手前にある扉の前、まっすぐこっちを見て立っている3人の看護師さん。

適度な緊張と誇らしい気持ちで、広いフロアを進む。もう顔が見える距離、というところで立ち止まる。前日に挨拶に来てくれた看護師さんと朝の挨拶と笑顔を交わす。

事前に聞かされていた確認事項を確かめられる。
生年月日、名前、今日の日付を西暦から。
どの部分の、どういった手術なのか。

ひとつひとつ、前違えないように答えた後、最後の扉が開き、手術室へ。

真ん中にあるベッド、その周りにはたくさんの機械。

ベッドの上に上がり、仰向けになる。
上半身に心電図や血圧計、体内の酸素濃度を調べるシールが貼られていく。

『昨日は、よく眠られましたか?』

「はい、何の不安もなく、ぐっすり眠れました」

『あっそうなんですね。緊張で眠れなかった、という方もいらっしゃるので』
『それは、よかったです』

「はい、もう一週間も過ごしているので、自宅の気分です」

『そうなんですね』

緊張よりも、この手術室にいることで、テンションが上がっていく方が心配だ。
安静にしていないとダメなのに、機材が気になってキョロキョロしてしまう。

麻酔の準備が始まる。

酸素マスクを口に当てられる。

“おっ、これもテレビで見たことあるやつだ!”
“なんか、もう出てるのかな?”

そう思っていると、心を読んだように、上の方から声がする。

『まだ何も出ていませんからね』

酸素マスク、そこから流れる全般の担当の方が声かけてくれる。


ここからは、もう、あっという間だった。

繋がれた点滴から、薬が注入され始める。

『それでは、お薬流していきます』

“おおぉぉ始まった! いつ眠くなるのかな?”
“ちゃんと麻酔で眠るのかな 効かなかったらどうしよう”

一瞬後。

また、遠くの方から名前を呼ばれる。

“あぁ、すごい。 もう終わったんだ”

まだはっきりしない意識の中、自分のなかで決めていたことを実行する。

「ありがとう ご ざい ま す!」
「先生、みなさん ありがとう ございました」

『はい、お疲れさまでした』 と、少し笑いながら先生が応えてくれる。

麻酔から覚めて、いきなりお礼を言う人なんていないだろうからね(笑)
これね、結構な意思の力がいるんだよ。

全身麻酔での手術をされる際は、是非お試しください。

その後、入院したなかで一番痛い時間を過ごすことになる手術後の夜。
健康な状態に戻った肺に入ったドレーン。
この管がとにかく痛い。
溜まった血を排出する役目もあるからしかたないんだけれど、とにかく痛い。
先生が僕の状態を見て、レントゲンでも確認してくれていた、手術の翌日。
ふらっとやってきてくれて、『もう抜こうか』と、それはもう手際よくドレーンを抜いてくれた。
抜いてくれた後、『痛くなかったでしょ』の言い方がまた恰好よかった。

その後も順調な回復で、退院もすぐ決まり、これを書いてます。

常に緊張と痛みをまとっていた時間。
リアルタイムでの書き込み、それと同時に詳細に書き残していた入院日記。

膨大な量を書いていれたのは、“不安”だったからこその集中力があったからみたいです。

手術も無事に終わり、退院日も決まり、一気に疲れが出てきていて、これ以上は難しそう。

入院日記は、そろそろ終わりに向かおうと思います。


吉田祥吾の人生にはどうしても必要だった緊急入院。
絶対に助からない病気ではない。
でも、放っておいたら命を奪う病気。
助かる道を用意してもらったうえで、命を粗末にしたら失くす選択肢を渡された時間。

とてもとても長い時間だった。
怖かった。
不安だらけだった最初の日。

振り返って、よかった、と切実に思う。

僕はとても運がいい。

これは自分で経験しなければ、絶対にわからない。
少しも死ぬとは思っていなかった時間、“本当は死んでいた”という、圧倒的な事実。

何より、“生きている”という選択肢を与えてもらった。
自分で“生きること”を選んだ、すごい経験をさせてもらった。

僕の寿命は42歳、2021年3月 “だった”

「気胸」という、初期で見つかれば何の問題もない病気。
ましてや、死ぬなんてありえないくらいの病気。

それがまさかの緊急手術、緊急入院になるなんて。

僕の左の肺。
完全に潰れていた不思議。

先生に聞いたこと。

「僕の肺は、長期間、ゆっくり時間をかけて空気が抜けたのか、それとも一気に破れて抜けたのか、どっちだと思いますか?」

『一気に抜けたんだと思うよ』

そしてもうひとつ。

「僕の潰れた肺は、手術をしなくても自然治癒したと思いますか?」


『しない。潰れたままだったと思う』


やっぱり、僕の寿命は決まっていたみたい。

どうやら“後厄の本気”は、本当の本気だったようです。


さてさて、それでは最後です。

命の大切さを説くような終わりにならないように気を付けます。
それは、あまりに浸りすぎなので。

僕にとっての、“とてもよかった時間”。

人生で初めての入院、手術。

『吉田さん、今すぐ入院してもらいます』。

今でも、“ドラマみたいだったな”、と思うんです。

そんな、僕に起こった、小さな“ドラマみたいだった”時間。
そして、それは紛れもない現実だった時間。

最後まで付き合ってくださって、ありがとうございました。

あっ、そうだ!
退院日は 2021年3月27日 土曜日 になりました。

皆さん、どうぞ、ご自愛ください。

それでは、また。


2021年3月25日 木曜日

吉田祥吾


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