五里霧中

夢中という目印

「五里霧中(ごりむちゅう)」
簡単に説明すると“深く迷っている状態”
~里(り)は距離を測る単位で一里約4キロ。平均的に人が一時間程度で歩ける距離が約4キロだそうです。なので五里は=約20キロ、それだけもの間、霧が続く只中にいるという状態。何にも見えない、方向もわからない、安全かもわからない、まさに一歩も動けない状況ですよね。

感動と引き換え

年々、感動が薄れてしまっている自分に気付くわけです。
年末年始はもっとワクワクしていたはず、年の終わりに向かい、新年を迎えるあの高揚感。冬の匂いが鼻の奥を刺激して、吸い込んだその空気が肺から体中に広がり、「季節や時期、生きている“今”という喜び」で、めいっぱい満たしていたはずだ、と。
自分でも言っていたし、年末の仕事先でも、新年を共に迎えた家族、友人からもこぼれていた「年末の気がしない」「年が明けた気がしない」「もっとワクワクしてたはずだよな」。僕らは“生きる為の生活”に、たくさんの感動を引き換えにしているんだと思う。
もちろん、すべての人がそうだとも思わない。けれど、年齢を重ねて、経験が増えれば、良い事も増えるように慣れてしまう事も増える。感動はいち早く鈍感になって“知っているから”と、鈍く鈍く重くなってしまう。

感動は深く身軽であれ
知識や経験は“ただの重量”であっては損をする。それが足を止め、心の感度を下げ、進む為の一歩を踏みとどまらせる。感動は深く沁みわたり生きる活力を生む、けれど、その感動が、知識や経験、生きる為だけの生活で蓄積していくと“ただの重量”になり、感動が上手く機能しなくなる。

その時々を夢中になる
夢や目標、なんて大袈裟なことじゃなく、慣れきってしまった事柄のひとつひとつを大雑把に捉えるのではなく、はっきり意識してみる。
そうすると夢中が生まれる。大人になるにつれて周囲を見渡す力を求められ、知らず知らずのうちにあたりを見渡してしまう。社会的には良い面もあるけど、個人的には冷めてしまう部分も多分に生まれる。「五里霧中(ごりむちゅう)」迷って身動きがとれない。そんな状態の時には夢中という灯りをともして、一歩一歩を進む高揚感や感動を思い出す。”ただ生きる”のは、やっぱりもったいないと思う。人それぞれは当たり前。
その上で、僕は”生きていたいから生きる”自分でありたい。

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