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その延長の手続き

リアルタイムでブログを書き始めて、手術前日までの記憶。

強く覚えているのは【痛み】。

身体を右側に向けて、横になる
夜眠っている時に、左胸に通された管が内側から胸を突く。

痛くて唸る。
肋骨が折れたように感じる痛み。
同時に、管が外れないように、しっかりと貼りつけられた皮膚が引っ張られる。
ビリビリと、皮膚が剝がされるような痛み。

病室のベッドの上、壁を背に、三方をカーテンに仕切られた4人部屋、入り口に近い左隅。

ただ、そこに存在しているだけ。
ひたすら、自分が間違いなく死んでいた事実を思い出し記憶をなぞる。

緊急入院する二日前、その二日間。

動くたびに、経験したことのないうねる様に波打つ、その後に器官を思い切りひっぱられる痛み。
呼吸が出来ずに、浅い呼吸を何度も何度も繰り返した。
いくら吸っても、息が足りずに眩暈の中倒れそうになる。

そして、また横になる。
眠って起きれば、状態が変わるはずだ、と。

痛みを感じてから、二日目の夜。

きっと昨日よりは回復しただろうと、立ち上がった瞬間。
少しも状態は良くならないことが一瞬でわかる。
それどころか前よりひどい。全く呼吸が出来ない状態が長くなっていた。

なんとかやり過ごして、動かなければ苦しさも痛さもない。

さすがに、病院嫌いの僕でも、「これはおかしい。看てもらった方がいいかも」と思った。
夜中、救急に向かった、その記憶。

“どうにかなる”、“今すぐ自分の人生に終わりは来ない”

そう思っていた僕の、すぐ近くに【死】が存在していた事実。
その時、僕の肺は、もうこれ以上縮めない程に縮んでいた。
肺から漏れた空気は、胸腔内を満たし、肺を押しつぶそうとする。
その押され続けている肺が、心臓を強く圧迫した場合、最悪、心肺停止、突然死が僕を襲っていた。

その現実。

入院から四日目に、じわりじわりと実感し始めた。
そして、あの痛みを伴った記憶。
夜中、痛みで目を覚ました。
左胸から伸びる管、その先のドレーン、カーテンに囲まれたベッドの上。
圧倒的な恐怖に恐ろしくなった。

けれど、その恐ろしさ、からしか見つからない【生きている喜び】もあった。

その時の心境は、祥吾日記、ゆるっと、に、しっかり残っている。

日毎に痛みは、存在を潜めていく。
先生が言うには、身体が痛みに慣れていくらしい。

あまりに突然だった変化、緊急入院、ドレーン手術、死ぬかもしれなかった事実。
すべてキャンセルになった仕事、入院しても何も保証されない現実。
落ち着いてくれば来るほど焦りに変わる。
命の大切さを知ったことと、現実に待っている支払いは別の問題らしい。
“生きる”のは、まったくもって楽じゃない。

けれど、これも順調に回復している証拠だ。

現実的な不安を持っていたから、こうして、絶望せず、現実に戻る日に向けて、入院出来ている。


2021年 3月22日 月曜日

手術前日、先生から説明を受ける。

どれだけ自分の肺が潰れていたか、に、あらためて驚く。
そして、見事に回復している現在の肺、生きようとする身体のすごさにも驚いた。

手術に向けての色々。

麻酔の説明、手術に立ち会う看護師さんの挨拶、承諾のサイン。
本当は24時以降だけれど、22時以降絶食にして欲しいこと。
飲水は翌朝7時までいいけれど、色のついた飲み物は禁止だということ。

これから手術に向けて、そして、その先の生活へ。

先生の『手術後、4,5日で退院できるよ』、という言葉を信じて、退院の目途を立てる。もう、これは信念だ。そうなるように未来との契約。
スケジュールを呼び出し、仕事の予定を入れていく。
“一日でも早く、みんなに元気な姿を見せたい”

手術前日。
その気持ちは祥吾日記に、しっかり書き記したので、それを見てもらえればいいかな。

祥吾日記 2021年3月22日 月曜日 手術前日

新しい命をもらった。
その命で進むこれからの人生。

終っていたはずの人生。

その延長の手続き。


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