草原

広大無辺

果てしなく広く大きいさま。また限りなく広々としているさま。

可能性や未来や夢。
その言葉を僕らは長く生きた分使わなくなってしまう。現実の呪縛をより強く、自分でも輪をかけたように更に強く強く唱え始める。

「いい大人なんだから」「今更」「現実を見ろ」「バカらしい」「どうせ自分なんか」「貧富の差は埋まらない」「もう手遅れ」

僕の中にも、堂々と踏ん反り返っている横着な呪縛。露骨に見下した態度で、こちらを見て鼻で笑う。そんな時、自分で自分に強くかけた“諦めの呪縛”が一層効いてくる。見事に絡めとられた思考。胸の張り方なんて忘れた猫背の僕は、そいつに上目遣いで卑屈な笑みを浮かべてやり過ごす。

何度、そんなやりとりをしてきただろう。いや、今だってそうだ。希望を探していたとしても、心に潜ろうとすることは、自分の抱えた“闇”も見えてしまうこと。

ニーチェの有名な、こんな一文がある。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」

僕はこの一文を知った時、最初は怖さしか生まれなかった。もしくは暗闇の深さ、心に棲む恐ろしい怪物を思い浮かべた。温度で言えば“寒さ”だ。

けれど今は、その言葉を見る角度が変わり怪物は影を潜め、温度が変わった。深淵を“希望”や”夢”、可能性に置き換えてみる。
そうすると、見えていなかった怖さと真逆の光や暖かさに触れることが出来た。
可能性がどんな時もあること、未来や夢を嬉々として語ってもいいこと。

絶望すること、落胆すること、その苦しさや悲しさで心が折れてしまうのが恐ろしい。だから忘れてしまおうとする。

でも、大丈夫。
光や暖かさは生まれる。

「希望をのぞく時、希望もまたこちらをのぞいているのだ」

希望を抱ける柔軟な心を、誰でも持っている。
ううん、たとえ“今”持っていなくても大丈夫。

可能性 未来 夢

それらを覗くだけでいいんだもの。

そう希望は広大無辺。

覗くだけで、果てしなく広がっていく。

僕らの心。

広大無辺。

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