見出し画像

大部屋への移動

2021年3月18日 金曜日

左胸の痛み

「痛っ、いててて。 そっか、入院してるんだった」

緊急手術、そして、緊急入院から三日目。

肺に溜まった空気を抜いてくれる大切な相棒“ドレーン”と、空気を抜く為の管で繋がった胸。
左胸、脇からほど近い、肋骨の隙間に開けられた五cm程の穴。
そこに管を通し、外れないように、皮膚と管回りに処置されている。
管が動くたびに皮膚が引っ張られる表面の痛さ。
それと胸腔内にある管が、内側を搔きまわす痛さで目が覚める。

夜中も聞こえていた、唸り声。
周りには動くことも、話すこともままならない人たちも居る。
緊急性が高い、重篤な方や、術後の経過観察の為。
看護師さんたちがすぐ動けるように、ナースステーションに隣接された場所。

昨日から、僕がいる場所。
心肺停止。
僕は死にかけたんだった。

大げさだな、と、思ってもしまうが、病院で、その対処をされてる事実。
危険だった瞬間がある。

危なかった。

移動する度に、ドレーンを入れた左胸が、内も外もひどく痛む。
痛みが治まるまでに15分程。

それとは別に、病院に来る前に感じていた、あの痛みも加わる。
肺から漏れた酸素、その溜まった気体が肺を、これでもか、と潰していた。
ドレーンで胸腔内の酸素を抜くことで、やっと肺が膨らみ始めている。

この痛みを伴うドレーンを入れてもらえた、あの瞬間。
突然死の危険性があった【緊張性気胸】から、緊急性を伴わない【高度気胸】に変わっていた。それでも、突然訪れた人生の変化、その戸惑いで、僕の命が救われていたことには、気づけずに恐怖と不安におびえていた。

ドレーン手術後、38度まで上がった体温も平熱に戻る。
ナースステーションから、だいぶ離れた、大部屋へ移動。
もう危険性がないという証拠の部屋移動。

いつまで続くかはっきりわからない入院生活の拠点。
『パンク修理しましょう♪』と、僕の肺修復を勧めてくれた担当の先生から告げられた手術の予定日。

2021年3月23日 火曜日

退院へ向けての時間がはっきりと進み始めた。

嵐のようなここ数日、ひとまず腰を落ち着けた僕は、そこから、ひたすらブログを書き始める。

“死”が確かにそばにいたこと。溢れて止まらない“生きていること”。

その思いはリアルタイムで、ブログ「祥吾日記」「ゆるっと」「note吉田祥吾サークル」へ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?