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健康な現実

”今、この瞬間”

タイムマシーンが本格的に開発されない限り「過去」には戻れない。
時間は一方通行で進むことしかできない。
だとしたら、僕にとって、この「”今、この瞬間”が一番若い状態」

過去を積み重ねた分、それを、何かを諦めていい理由にするところが、僕には確かにある。「大切なのは、過去じゃなく“今生きている自分”」。
こんな当たり前をすっかり忘れて、諦めることが大得意な“不可能崇拝”の信者になる。

可能性を、”若さ”という視点だけで考えてみれば、可能性は確かに減少するし、消失する。そうすると”不可能崇拝”に傾倒する理由が生まれて、どっぷり浸る。

ただ、年齢と老いの鎖を無視すると、現実逃避になりかねないので、所得税や住民税の支払いにうんざりしつつ、ため息を吐きつつ税金を支払う僕を忘れてはいけない。
だから、もちろん、今からプロスポーツ選手にもなれないし、大ヒットを記録するアーティストにもなれない。創作という点で、若さを必要とする感性が10代や20代にかなうわけがない。それは15歳から歌を書いてきたから実感としてわかる。

「10代や20代の自分にはかなわない」

それは“人として”、ある種の約束された特別な時期だから。

伝えたい、表現したい怒りや喜びが次から次に溢れてくる。ある意味で無知だからこそ、世界や世の中のルールや不平等を受け入れていないからこそ、「強い表現欲求」が溢れ出てくる特別な感性を持った時期「若さ」。

世の中のルールや不平等、年齢と老いの鎖に繋がれていることを受け入れてしまうと、少しずつ失われていく「圧倒的な力」が確かにある。

「若さに与えられた特別な力」
世界自体が生命体だから、世界を保つために、その限定的な力は当然だ。

シンプルに若さは偉大だ。

同じような能力なら、42歳の僕よりも、20歳の人間の方が誰が見ても可能性に溢れているし、育てる余地が多分に残されている。

でも、そんなのは当たり前。
年齢を重ねるごとに、細胞は死へと向かう。
劣化した内蔵バッテリーのように、充電量が減っていく。そのうちに電源を繋ぎっぱなしで固定される。
老いと共に、自由も可能性も徐々に剝がされて、その度にひどく落ち込むけれど、それが命の足を止めて、人生を止めてしまう程の理由にはならないはずだ。

僕は、誰にも必要とされないなら、どんなに若さがあっても生きるのは無意味で味気ない。他の人がどうかなんてわからないけど、僕は誰にも必要とされない状態でも、「幸福感で心が満たされる」人間じゃない。

かといって、誰かに必要とされたいばかりに、誰かにすがるような、誰かに依存するような自分は嫌だ。

だったら、まずは自分が自分の存在を必要とする。
それには、希望を無理やり持つことじゃなく、もっとも重要なのは“絶望”しないことだ。老いていくこと、削りとられていく可能性に“絶望”しないこと。

だから、栄養ドリンクのような、一時的な“希望”じゃない、十分な睡眠や栄養でつくられた健康体のような、“絶望”しない「現実」が必要だ。
僕にとって大切な「健康な現実」

『生きている今が、いつでも一番若い』

こんな当たり前。

僕は、一方通行の「時間」を進み越えていくしかできない。
間違いなく戻るのは不可能。
だったら、一番若い“この瞬間”を、ある種、暴力的にただ過ぎ去る時間に、ただただ流して捨ててしまうのはもったいない。

「健康な現実」

僕は、今日も一番若い瞬間を生きている。

その事実だけで、日々の支払いや税金に頭を悩まし、老いていくことに恐怖して、「実際の可能性の枠」を勝手に縮めて過ぎて壊してしまいそうな僕、残りの人生を「寿命の終わり待ち」で浪費してしまいそうな僕に、自分で選ぶことができる「実際の可能性の枠」を提示してくれる。

生きている今。

これを書いている“今”も贅沢な時間だ。年齢を重ねる恐怖や苦しさから完全に離れることはできない(今のところは)。せっかく、こうして命を継続して生き続けてきたのに、負債のように勝手に膨らんでいく「老いる恐怖」「可能性の消失」から少しでも解き放たれて、心が軽くなるのが先決だ。

自分の能力を引き受けて、悔しさを楽しんで、たまにちゃんと落ち込んで。

僕は今日も一番若い自分を生きているのだから。
未来という響きに喜びを感じていたい。

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