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価値の可視化

何年か前に「創造的な仕事であれば、それでいくら稼げるかもわからないし、いくらをつければ妥当なのかもわからない。」と考えたことがありました。取引実績がないと値段がつかない、というコンテキストだったかもしれませんが、根っこはクリエーションの対価に釈然としなかったことでした。

音楽業界では、レコード盤はレコード会社のもので、レコーディングに製作費を使ったので、払った人がリターンを受け取ると、アーティストへの還元はほとんどないと聞きました。支払いに対する対価(マイナス分の補填)で、0→1のクリエイターには還元されず、商業ベースにのせたディストリビューターたちに利益配分される仕組みです。

お金というものは便利なもので、間接的に交換できる価値尺度があるからこそ、機能します。標準化されることで利用者が増えるし、経済圏がつくられます。

ですが、慣れてしまうと対象に対する感覚が鈍るようにも思います。外国の通貨で売られているとそれが高いのか安いのかわからないように、本来的には値段のないものにたいして、便宜的に価値を数値化しているに過ぎません。

価値のわからないものに遭遇したとき、価格に頼って判断するのは感覚を放棄している気がします。同じものでも10,000円と100円で見え方が変わるのは、10,000円はこれくらい、という感覚値、相対評価があるからで、しかしその指標は、誰かによって決められたものです。自分の感覚とは必ずしも一致しません。

強いアーティストは、例えば1,000万円で作品を売るために、徹底的に作りこんでそれだけの価値があるものを作りますが、ぼくたちのような無名アーティストは、そのマーケットに挑むだけの力量がありません。であれば、違った価値基準の市場で戦うべきなのでは…。

ソーシャルトークンを発行することで、価値の移転をし、いまの経済的価値では低く見積もられている価値の可視化して再評価しようといった動きはすばらしいです。ひとつの経済圏に生きていると、その世界の指標で価値判断(比較)しがちですが、ぼくたちは意図的に経済圏を選べる世界に生きています。

太陽のように自らエネルギーを発しているものは、絶対的な存在で唯一無二です。強い(価値に交換されにくい)作品をつくりたいです。





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