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「私がこよなく愛する女性歌手。。。日本ではたぶん、ほとんど知られていないけど。。。」(カナダ随想録)

いつも、私の身の回りの雪景色や、トレイルウオーキングの写真ばかり投稿していて、皆さんが飽き飽きしているに違いない。
そこで、久しぶりに普段と違うものを書いてみたい。

きっかけは、たまたま、ほかの noter の投稿で「聞くたびに泣けてくる曲」みたいなタイトルで、エッセイを募集しているという
のを見たことにある。

そんな曲、自分にあったっけと、いろいろ思いめぐらした。

そういう歌は、すぐには出てこなかった。ただ、聞くたびに涙するわけではないけど、一度、車を運転しながら、その歌を聞いていて
涙がボロボロ、止まらなくなった歌のことが、頭に浮かんだ。

何年前のことだったろう。トロントから車でほぼ4時間、北東の方向に走った所にカナダの首都、オタワがある。そこに所用があって一人で
行った帰り道、ハイウエー一本道の長旅だからと、好きなミュージックを集めたCDを数枚持っていったのを聞いていた。

よく思い出せないのだが、早朝だったのだろうか、ハイウエーはガラガラに空いていた。坦々と続くハイウエーの前方を見つめていると、
ずっと前から好きだったララ・ファビアン(Lara Fabian)の 「Je Suis Malade」 が流れてきた。

ベルギー人の父とイタリア人の母の間に1970年、ベルギーで生まれ、幼時をイタリアで過ごした。彼女はイタリア語、フランス語、英語を自由に操る。1988年、18歳の時、ヨーロッパ最大(というか世界最大ともいうべき)」ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場、4位に入賞。ちなみにその時、優勝したのはセリーヌ・ディオンだった。

ララが本格的に歌手デビューをしたのが、1991年、カナダのケベック州モントリオールに移ってからで、大ヒット曲を放ち出したのは、そのころからである。当時の代表曲の一つが「Je Suis Malade」 である。

この曲はフランス語で、私は仏語圏のモントリオールに3年半住んでいたが、フランス語はサッパリである。カナダで長く暮らして
英語だけで十分過ぎるほど苦労した後に、仏語は無理である。

私は、この曲のタイトルを日本語に訳すと、「私は病気なの」 ではないかと思っている。聞いていて、歌詞の意味ははっきり言ってよくわからない。私にわかるのは、しばしば繰り返される「私は病気なの。そうよ、病気なの!」「私は疲れた」「私とウイスキー」。。。それぐらいのものである。

でも、ララの歌唱力、表現力に圧倒されるし、正確な意味は、わたしにとっては問題ではない。ただ、失恋か、別離か、何かわからないが、激しく悲しい情感が強烈に伝わってくるのだ。

ハイウエーで車を運転しながら、これを聞いていて、私はただ、訳もなくボロボロ泣いていた。

今、53歳のララが20代前半のころの動画である。満席の聴衆がララの熱情的な歌いっぷりに魅せられて、終わった瞬間、皆立ち上がって拍手、歓声の嵐である。

ベルギーとカナダの国籍を所有、ウィキによると今はモントリオールで家族と住んでいるとなっている。歌はますます円熟味を増し、英仏、イタリア語を駆使して世界的に活躍している。

ヨーロッパでの人気が高いが、ユーチ■ーブで見ていると、ロシアでも非常に有名な歌手の一人になっているようだ。

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