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ドとレとミとファとソとラとシnote。

自分が当たり前と思っていたものが、実は他人とは結構違うという事はよくある。環境の違い、生活習慣の違いから生まれるもの、考え方、成長過程で身につけ独自に進化を遂げたものなど本当に様々だと思う。

なぜそうするのか、そうしてきたのか聞くのが割と好きだ。理由がない場合もあるし、当然ちゃんとした理由がある場合も。そこを説得したり、お勧めしたり、歩み寄ったり、擦り合わせたりするのも嫌いじゃない。それが人と繋がる事そのものだったりするのかも。

昔話してパッと浮かぶのは、バスタオル洗濯回数問題だ。バスタオルを毎日洗濯する派としない派だ。僕は洗った体を拭くんだからバスタオルは綺麗だという子供じみた理由から一週間に一回ぐらい洗濯すれば良い派。派閥というほど人数がいなかったらすみません。

毎日洗濯したいという人の気持ちも分からなくもないが、あたかも汚いよそれといった感じでくる毎日洗濯派の幹部の方にはこちらの派閥の主張も多少は受け入れて欲しい。僕は毎日洗濯しない派閥、理由面倒くさい所属なんだから。

大人になって少し驚いたのは、母親が毎日夕飯を作らない家庭が意外に多いという事。父親がそうするように言っていたのかもしれないが、母親の手料理が毎日食べられる事が当たり前だと思っていた。あれは特別だったんだ。

そして、小さい頃から母親の料理が美味しいと思っていたが、それは「慣れ親しんだ味」アドバンテージが大体を占めるから美味しんだと勝手に思っていたが、母親の料理が微妙だったと言う人にちょこちょこ出会って初めて、母親は料理の腕前もなかなかだったんだと知る。

そういう家庭環境からか、割と舌の感覚が研ぎ澄まされてて拘りがある、美味いものには目がない、美味しいものの為なら割と時間とお金を割く。いや全くそんな事ない。申し訳なくなる程に。それと同時に低所得の現状においては拘りがなくて助かったとは思っている。

「美味い」の幅が人よりとても広い。世の中の食べ物大体美味い。外食なんてほぼ美味い。好きな食べ物はピッツァとアメリキャンドックだが、理由ははっきりしていてこの世に不味いピッツァとアメリキャンドックに出会った事がないから。不味いピッツァとアメリキャンドックがあったら紹介して欲しい。

駄菓子から高級焼肉まで大体同じ美味さの感動がある。牛丼を一週間食べても気にならない。以前、食べながらこれは牛丼なのか豚丼なのか分からなくなった時には流石にどんだけ馬鹿舌になんだと自分にがっかりもしたんだけども。

よく、お金と時間が勿体ないからお腹空かなきゃ良いのにとさえ思う。昔、一人暮らしをしている時に、隣に住んでいた同期芸人の加藤君は、朝起きて最初の楽しみは1日の朝、昼、夜に何を食べようか考える事だと言っていた。こんなに違う人間がいるのかとショックを受けた。お互いに。

ただ、隣の芝生は青く見えるに該当するか分からないが、食べる事に凄く喜びを感じる人は好きだ。話を聞くのも好き。全く理解出来ない話や不思議に思う話は興味の対象であり、刺激的だ。

月に一回ぐらい凄く体調が悪いなと思う時があり、よくよく考えるとそれは単にご飯を食べてないだけで、一食食べたらめちゃくちゃ元気になる時がある。

ここまで書いて思ったが、母親の手料理が美味いから美味いのか、本人が馬鹿舌だから母親の手料理が美味いと思うのか、鶏が先か卵が先か問題なのかな。

食に関しては割と育ってきた環境で違いが出るなぁと思っている。が、書きたい事はそんな事ではなかった。僕が割と普通に思っていた事で他人と違う事は。

これに関しては僕にはちゃんと理由があり、少しでも共感を集めたいし、派閥の会員を増やしたいと思っている。

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