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働くこと・対価を得ること

息子(3歳7ヶ月)は自分が食べたい時に食べる。
腹ペコの時には、全員分が配膳される前に(なんなら調理中に)食べちゃうし、
お腹が空いていない時や、調子が良くない時には
「ごはんできたよ〜」と呼んでも「食べな〜い」と元気よく返してくる。
自分のタイミングは自分で決めているのだ。

そんなフリースタイル3歳男児だが、
食べている時にはしょっちゅう
「おいし〜っ‼︎」
「これ、誰が作ったの?」
「作っても(←作ってくれて)ありゃぁとー♡(←ありがとー♡)」
と言う。
母はもう…この上なく幸せ♡♡♡

正直、私は栄養には興味があるが
料理をすることは特別に好きでもないし、苦手だ。
そんな私にとって、三度三度の食事の支度はなかなかの大きな仕事だ。

だけど
作ったものを残さず食べてくれたり
「ありがとー♡」って言ってくれたりするから頑張れるし
むしろ
仕事以上のものをもらっている気になれる。


「お仕事は誰かをハッピーにするためにするんだよ」

私は娘に時折そんな話をしている。
自分が働く上で心掛けていることだ。
子どもたちに食事を提供することは自分の仕事であり、
少なからず子どもたちをハッピーにしているのではないかと思う。
そして「ありがとう」という言葉や笑顔が「対価」になっている。


昨年と一昨年はSOCIALWORKEEERZ主催の
「Dance Party チョイワルナイト〜Danceと福祉を繋ぐ〜」
でボランティアスタッフとして物販を担当した。
自宅からはそれなりに距離があって、時間もお金もかかる。
だけど私はそれ以上に
「他では味わえない生(セイ)のエネルギー」をいただいた。
この感動を未だにうまく言語化できていないのだが、
とにかく私は今年も開催されるのであれば
ボランティアスタッフをやりたいと思っている。


人が動くこと→働くということ
そこには何かしらの「対価」がある。
ただし、
働きに対して何が対価になるのか?
働きに見合った対価なのか?
それは人によって異なると思う。

そして、キレイゴトではなく
少なからず生活していくためにはお金が必要であって
「お金をいただける仕事」もしなくてはいけない。

我が子に食事を作ることに対して
当たり前だけれどもお金をもらいたいなどとは思わないし、
ボランティアスタッフに応募したのは自らの意思だから
もちろんそこに賃金の発生は求めていない。

自分が動くことでお金を支払ってもらえるような価値のあることってなんだろう。
自分には何ができるのだろう…

息子が残した夕飯の味噌汁を眺めながら、
今宵もそんなことを考える私です。

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