マネージャーを辞めた理由と、やってみて得た学びのメモ

マネージャーを1年7ヶ月ほど務めましたが、今月頭から辞めて、プレイヤーとしてやり直すことにしました。

自分のための覚え書きも兼ねて、辞めた理由と、実際に務めてみて得られたものを言語化してまとめておこうと思います。

何をしていたのか

「マネージャーの役割」について、いろいろな学びから僕は下記の記事に記載したように定義していました。

マネジャーがいる目的
・「経営」からオーダーされた成果を残す
・人的資産を維持・活用する
・人を育てる
・会社の中でチームを機能させる

そのためにマネジャーがやること(手段)
・情報を収集する
・情報をメンバーに共有・公開する
・意思決定する
・安心安全にメンバーが発言・活動できる環境をつくる
・ナッジ(≒背中押し、助言)する
・役割モデルとして"正しく"振る舞う(≒規範を示す)
・組織の顔として動く(挨拶や宣伝を行う)
・リスクをとって組織を変えていく
・組織内のトラブルをどうにかする
・(メンバー自身が実感できる形で)チームに進捗を生み出す
・責任を取る

抽象化してしまえば、マネージャーとしてやっていたことはまさに上記のようなことでした。

たまたまタイミングの問題でトラブル対応が多めの期間だったり、リーダーも兼務していたので活動のプランニングも担っていたり、プロモーション部門なので企画やアウトプットのレビューもしていたり、チームの現状や未来を踏まえて採用活動もリードしていったり、そのほか費用の予実管理なども行なったり・・具体的にはそういった仕事も行なっていました。

務めていた頃から思っていましたが、まあやることが広い立場でした。

辞めることにした理由

つくづく思いますが、こういう意思決定ってほんと機会がいろいろ重なって急に決まるものだなあと思います。

当社マーケティング本部内で大きめの組織再編が実施された

在籍しているマーケティング本部にて、大きめの組織再編が8月付で行われました。直接的なきっかけはこれです。これを機に申し出て、叶いました。

元々いつかはプレイヤーに戻るつもりだった

自分で言うのもアレですが、まだ28歳ということもあり、「このまま引退まで何十年もマネージャー」というのはほぼあり得ない未来と考えていました。

プレイヤー経験によってためられる「貯金」が徐々に枯渇してきている感があった

自分は、おそらくそこそこ早い段階でマネージャーの経験を積んでみることになったケースと思うのですが、それゆえにプレイヤーとしてためてきた「貯金」のようなものが徐々に枯渇する感覚が生まれていました。

リードしたり指し示したり、支えたりする側を続けるプレッシャーが長い間続いていた。「学ぶ側、教えてもらえる側」になりたい気持ちが大きかった

リードしたり、向かうべき先を指し示したり、メンバーを支援したりすることが多く、「自分がしっかりせねば」「お前の限界がチームの限界になり得るんだぞ」というプレッシャーが長期間続いており、大変だなあと日々感じていました。

逆にいえば「学ぶ側、教えてもらえる側」として、またキャリアを築きたいという思いが常々膨らんでいたということです。最も大きかった理由はこれです。

学んだこと、思ったこと

自分の振り返りがてら、マネージャーを短いながらも務めてみて学んだことや思ったことを書き残しておきます。

マネージャーは「メンバーには言えない問題や悩み」を抱えていることが多いとよくわかった

マネージャーになると、人や組織に関する深刻な問題とよく巡り会うようになりました。いち部署の副部長レベルではあるので、より上層レイヤーを担当しているマネージャーの人からすれば大した話ではないのかもしれませんが、それでもプレイヤーの目線しか知らなかった自分からすれば「これは厳しい、難しい・・」と感じざるを得ない問題に遭遇することが多かったです。

そもそもマネージャーにまで未解決のまま上がってくる問題というのは、たいていシンプルではなく複雑で、誰もが幸せになれる選択肢はどこにもなく、わかりやすい悪者はいなくて「正義 vs. 正義」の構造になっていて、およそ生々しいものがほとんどなのです(特に事業や業務ではなく、人材の話はなおさら)。そうでなければ、メンバーの中で十分解決、あるいは意思決定できるはずなのですから。

また、これらの問題はメンバーにはその存在すら言えないことも多いですし、プライバシーが関わる問題であれば他のマネージャーに話せる範囲も限られることが少なくありませんでした。

とにかく悩ましい問題をいろいろ抱え込まざるを得ない立場なのだなと、よく思いました。

マネージャーでない人が言う「マネージャーはこうあるべき」論は、往々にして現実的でなく的はずれであると痛感した

たとえばSNSを見れば「マネージャーはこうあるべき」という話がよく聞こえてきます。その中でもマネージャーでない人が述べるそれらの論は、往々にして的外れであると感じるようになりました。

マネージャーが取り組む仕事では、教科書的な理想論が通じるケースは非常に稀です。いろんなものに板挟みになりながら、半歩でも前に行こうと日々もがくことが多いのです。

その現実を体験した上でのマネージャー論とそれ以外にはやはり大きな差があり、後者については「それができるならとっくの昔にやってる」と思うことが非常に増えました。

「お膳立てされて、順序立ててセオリー通り実行できる仕事」なんて元々はなくて、そういう仕事は誰か整えてくれる人がいるから存在するのだとよくわかった

マネージャーが向き合う先は、たいてい「舗装なんてまったくされていない、ガッタガタの道」です。

これを体感したからこそ、「順序立ててセオリー通り実行できる仕事」というのは、当たり前ながらそれは誰かが舗装してくれたからなのだと、心から実感できるようになりました。

「どうすればいいですか」ではなく「こうすればいいと思ったんですけど、それでいいですか」とメンバーが言ってくれるととても助かるとわかった

マネージャーはそんな「道なき道を行く」立場なので、偉いように見えるかもしれないけど、実はたしかな答えは何もわからない苦しい役割だと思います。

だからこそ、マネージャーがまるで答えを持っているかのように「どうすればいいですか?」とオープンクエスチョンで指示を仰がられるより、「こうすればいいと思ったんですけど、それでいいですか?」とメンバーが提案と共に相談してくれると、あまりに尊い、と思うようになりました。

結果の可視化が「上の人」にとってなぜ重要かを身に染みて理解した

仕事は遊びではありません。社会に価値を届けないといけないですし、そのためには従業員や関係会社にお金を支払わないといけません。お金をどうにか支払うためには、投資するべき領域とそうでない領域を見定める必要があります。また、うまくいっている活動についてはメンバーにその「進捗」を感じてもらって、士気を高めなければなりません。

そのためには、結果の可視化がとても重要なのです。数値データをはじめとして、定性データも含めて、うまく収集・集計・考察する必要があります。この重要性を、身にしみて感じるようになりました。

役職は思っていた以上にまだまだ強い印象を与えることがあるとよくわかった

「マネージャーはただの"役割"」という意見も最近は増えましたが、とはいえまだまだそれは先進的な考えで、多くの場合はいまだに「偉い人」の目印になっているのだとつくづく思いました。

それは社内のメンバーに対する威圧感にもなりかねないですし、社外の人からの見られ方にもまだまだ大きく影響するようでした。

大きなことを成し遂げようとすると、人やチームをどうするかがとても重要になるとしみじみわかった

事業・業務を成功させたい、という思いが徐々に育ってきた中で(「役割は人を育てる」って本当だなと思います)、そのための採用やチームのフォーメーションについても何度も考え、実際にその結果を体感することで、「大きなことを成し遂げたいなら、人やチームの話と向き合うことは避けては通れない」と強く感じるようになりました。

今後どうするか

マネージャー退任にともなって、いちプレイヤーとして再スタートすることになりました。複数のチームから声をかけてもらえて、所属としては下記の形で収まりました。

  • kintone プロダクトプロモーショングループ

    • ノーコードで業務アプリをつくれる「kintone」のプロモーション企画/実施

  • パートナープロモーショングループ

    • 弊社の販売パートナー様と協業する形でのサイボウズ製品のプロモーション企画/実施

  • マーケティングキャリア支援チーム

    • マーケティング本部内メンバーのキャリア形成支援を企画/実施

個人的には「マネージャー経験を生かして、視座が高く、高パフォーマンスな活動ができるプレイヤーを目指す」「マネージャーを経験したのちにプレイヤーに戻るキャリアのモデルを社内に1つ示す」あたりをしばらくはテーマにしてがんばってみようかなと思います。

俺たちの戦いはこれからだァ!
(応援ありがとうございました、これからにご期待ください)

2024年5月追記:取材いただきました

本件に関する取材記事がITmediaビジネスオンラインに掲載されました。

自分がnoteを書くだけではうまく振り返りできなかった点もより踏み込んでまとめていただいています。よろしければご覧ください。

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