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中村吉江(なかむら・よしえ)の自己紹介

助産師歴22年/ママ&ベビー訪問ここはれ代表
ライター/一般社団法人日本マインドワーク協会認定講師


看護師歴2年を経て、助産師歴22年

はじめまして!愛知県在住の中村吉江(なかむら・よしえ)と申します。

私は小児科の看護師歴2年を経て、助産師として22年仕事をしています。

現在は産婦人科クリニックで勤務しながら、地域で新生児訪問をしています。

さらに助産師としての経験を生かして情報発信する、
助産師ライターを目指して、ライティングも学んでいます。

母親の希望もあり、看護師へ

もともと私は、「将来は、人の役に立つ仕事がしたい」と考えていました。

「看護師になってほしい」との母親の希望もあり、
高校卒業後は、看護学校に3年間通いました。

看護学校での卒業論文には、こんなことを書いていたんですよね。

「不安や悩みを持っている患者さんに寄り添い、
少しでも苦痛を取り除いてあげることのできる看護師になりたい。

患者さんの中には不安を表出できず、一人で苦しんでいる人も多い。
そんな患者さんを気づかい、不安を表出できる雰囲気作りをしたい。

看護をするにあたり共感的態度や患者さんを
受け止めることは大切だが、なかなか難しいことである。

しかし努力しつづけたい。そして温かい看護、
思いやりのある看護ができるように、
何気ない声かけや一つ一つのケアを大切にしたい。
心のケアができる看護師になりたい」と。

20代前半に書いた文章を改めて読んでみて、
今も同じ思いであることに、我ながらビックリです。

助産師を目指すようになったきっかけ

看護学校時代には病院で実習を行い、
患者さんの受け持ちもさせていただきました。

産婦人科の実習では、お産に立ち合ったことがあり、
新しい生命が誕生する瞬間に感動したんです。

その時の助産師さんは、お母さんへの声かけが上手でした。

呼吸法をリードし、お産をサポートしている
助産師さんの姿を見て、とても感銘を受けました。

これがきっかけで、「助産師になりたい」と思うようになったのです。

小児科病棟で、看護師として2年勤務

しかしながら看護師国家試験と助産師学校受験の両立は難しいものがあります。

私はいったん看護師として、総合病院に就職することにしました。

新人の私が最初に配属になったのは、小児内科病棟でした。

血液の病気の子供たちもいて、骨髄移植をするクリーンルームがある病院だったのです。

小児科では入院している子供たちだけでなく、
付き添いのお母さんとの関わりも必要となります。

新人で仕事を覚えるので精いっぱいだった私は、
お母さんたちとの 関わりが苦手でした。

2年目には、お母さんたちとも会話できるようになりました。

仕事に余裕が出てきたこともあり、助産師受験に挑戦することにしたのです。

しかしながら夜勤もしており、
勉強不足だったのか、受験には失敗してしまいました。

看護師として仕事をしながら、
助産師になる勉強をするのは難しいと考え、
2年で退職することにしました。

夜間学校に通って、念願の助産師に!

それからクリニックでパートとして仕事をしながら、
医療系の夜間予備校に通いました。

その翌年、晴れて助産師学校に合格することができたのです。

看護学校には3年間通いましたが、助産師になるための学校は1年でした。

私が助産師学校に通っていた時には、10例のお産に立ち合う必要がありました。

授業が終わった後、お産がありそうな場合には呼び出しがあり、学校で待機します。

学校の中の待機室には、2段ベッドが2台置いてあります。

4人までの学生が泊まることができる待機室で、当番制で待機生活をしていました。

受け持ちさせてもらったお産の方の傍で付き添ったり、
陣痛が来ている方の腰をさすったりしたこともありました。

時には夜通しのお産になることもありました。

お産が終わっても、助産記録や振り返りを翌日までに提出する必要があります。

休む間もなく、ひたすら頑張り、駆け抜けた1年でした。

そうして助産師国家試験に合格し、念願の助産師になることができたのです!

助産師として、総合病院で勤務

助産師として初めて仕事することになったのは、
看護学校時代に実習に行ったことのある総合病院でした。

産婦人科病棟での勤務でしたが、
ベッドが空いていれば、他の科の患者さんがくることもあります。

この病棟には、4床ほどの規模の小さなNICUの施設もありました。

NICUというのは、新生児集中治療室です。

小さく生まれた赤ちゃんや、呼吸状態が悪い赤ちゃんなどが入院していました。

私が勤務していた病棟は、小さな赤ちゃんもいれば、
高齢のおばあさんもいる病棟でした。

生まれる命もあれば、消えゆく命もあるというのが日常だったのです。

産婦人科クリニックへ転職し、二児を出産

結婚してからも仕事を続けていましたが、
主人の職場近くに引っ越すのを機に、6年間勤めた病院を退職することにしました。

引っ越し後は近所の産婦人科クリニックに転職し、それから 16年になります。

産婦人科クリニックで仕事を始めてからは、育児休暇を2度取得しました。

結婚してからは、なかなか子供を授かることができず、
7年ほど不妊治療をして、36歳の時に娘を出産しました。

1年育休を取得し、職場復帰しました。

娘に兄弟を作ってあげたいと思い、
再び不妊治療をした結果、3年後に息子を授かり、40歳の時に出産しました。

また1年育休を取得した後、職場復帰したのです。

自分の心の声に気づき、行動できるように!

私は子供たちを保育園に預けながら、働いていました。

「自分にはもっと何かできるのではないか、
このままでいいのであろうか」という思いが、
ある時、出てくるようになったのです。

そんなときに出会ったのがマインドワークです。

この思いは何なのか、自分は本当はどう思っているのか、
自分の心の声を聴くようになりました。

感情をため込んでいたことに気づき、
これ以上自分を責めなくていいという安心感が出てきました。

そうして自分が本当にやりたいことは何なのか、見つけることができたのです。

それに向かって行動も起こせるようになったのは、マインドワークのおかげです。

やりたかった新生児訪問の仕事

クリニック勤務以外にやりたかったことの一つに、新生児訪問があります。

ある時、市の広報に保健センターの助産師募集の情報が掲載されてました。
これはチャンスだと思い応募しました。

幸い採用されて、保健センターでは週3日、
クリニックでは週2日勤務するようになりました。

保健センターでは、もちろん新生児訪問もしましたが、
行政機関なので、いろいろな仕事を経験することができました。

パソコン入力の仕事もありました。

ずっと医療の現場で働いてきて、初めてのデスクワークに新鮮さを感じました。

保健センターは1年で退職しました。

その翌々年には、市の委託助産師になったのです。

保健センターで働いていた時と同じ市で、また新生児訪問をすることになりました。

ワンオペ育児、産後ママ、働くママのサポート

私はこれまでに、のべ1600人以上の妊婦さんや産後ママたちのサポートをしてきました。

今後もワンオペで育児をしている、孤独なママたちに寄り添っていきたいです。

現在は病院と、愛知県の地元の地域とで、産後ママたちに関わっています。

今後は企業で働くママたちにも、助産師として関わっていけたらと思っています。

現在は新たな挑戦として、助産師としての経験を生かしたライターを目指しています。

助産師としてお悩みのある妊婦さん、産後ママたちに
寄り添えるようなメッセージを伝えていきたいと思っています。

中村吉江へのお問い合わせはこちら


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