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何者でも無い自分

こんばんは。
夜も遅いので自己満な哲学的な話を。

「将来の夢は?」
小学生の頃この質問は良くされましたし、クラス文集ではそれを書く欄がほぼ必ずあったように感じます。
私はこれが本当に嫌いでした(今も得意ではありません)。
なぜなら、なりたいものも、やりたい事もなかったので!
毎年違う回答をしていたと記憶しています。
覚えているのは、小3の公務員(素晴らしい)、小6の2112年まで生きて、ドラえもんに会う。
なんてつまらん子供だったのか。

もちろんその後は、スポット的にやりたい事(留学やバックパッカー等)ができたり、一時的に頑張ったこと(高校時の勉強や映画翻訳等)はありましたが、人生を通しての「夢」や「なりたい姿」は持たぬままでした。
結果、特徴や特技など、「これが自分だ!」というものは今でも持っていません。あるいは自覚していません。

私がJリーグクラブで働いていると聞いたら昔の私はさぞ驚くでしょう(今でもふと驚きますが)。
夢がある人、良い意味でトガっている人、キャラが確立している人ばかり!
ペーペーの私が言うのもおこがましいですが、本当にいいメンバーが集まっています。

そのような組織に所属しておきながら、こんなことを言ってしまうのもナンですが、
これからも私は「夢」や「人生の目標」を持つことはないでしょう。
「自分はこれなんだ」というようなアイデンティティを築ける自信もありません。
でも、「何者でもない」ことが悪だとは思いません。
困難にぶつかっても「理想の自分」が無いのでギャップも生まれず、必要以上に悩んだりしません。
なんなら「逃げる」選択もできます。
ある意味、柔軟ですよね。

もちろん私自身「何者でも無い自分」、嫌いじゃありません。
それも含めて私という人間なのだと。
「何者でもない」ことは「何者にもなり得る」ことではないかと。
こんな人間が組織に1人くらいいても良いんじゃないかと。
勝手にそう思っているわけです。
(他の人がどう考えるかは知りません。気にしません。すみません笑)

理想を持ってそれに向かって進む人生は素晴らしいと心から思います。これは間違いありません。
一方、理想を持たず進んでいく人生もまた、何が起きるか分かず、スリリングで面白い。
私自身、自分がこの先どうなるのか楽しみです。
極力、周りの人には迷惑をかけないようにしようとは思っていますが、迷惑も心配も掛けることになるでしょう。
そんな時は助けてください笑

これからの伊東の人生も、それなりにみる価値あり。
(きっと長生きはしない!)

それでは皆様have a good night!

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