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ブラジリアン柔術について教えて① ~歴史と概要編~

こんばんは、ヨシ田です。

現在、私は会社勤めの傍ら、仕事終わりに大阪にあるブラジリアン柔術専門ジムに通っています。私は、ブラジリアン柔術歴約2年、現在白帯ストライプ4本目です。日々の練習内容やテクニック等で、気づいた事や学んだ事を書き残していきます。

タイトルにもある通り、「ブラジリアン柔術って何ですか?」と聞かれることが多々あります。また、「柔道ですか?柔道と何が違うんですか?」という質問も多いのが事実です。そこで、今日はブラジリアン柔術とは何なのかについて、私自身の考えや知識を交えながら書き残していきたいと思います。記事の中で、間違った表現等があるかもしれません。その場合は、ご指導いただきたくお願いします。

そもそも、ブラジリアン柔術って何?????


私は、「ブラジリアン柔術とは、寝技の格闘技です。」と答えていますが、実は奥が非常に深いです。ここでも、書き切れないので、一旦ここでの説明は割愛させてください。別記事に書き残していきたいと思います。ブラジリアン柔術は、BJJ(=Brazilian Jiu-Jitsu)と略されます。ここでも、ブラジリアン柔術の事は、BJJと略して書いていきます。

ブラジリアン柔術の歴史


日本発祥のスポーツを海外に広めるべく、19世紀の終わりごろ、日本からアメリカ・ブラジル等への移住が活発になっていました。その中の移住した一人に「前田光代」という人物がいます。1878年、現在の青森県弘前市に生まれました。上京後、当時の東京専門学校(現在の早稲田大学)へ入学。入学当初は様々なスポーツに勤しみましたが、中でも「柔道」(講道館に入門)に打ち込み、めきめきと頭角を表していきました。昇段審査の時に、15人抜きをしたという話もあるそうです。そんな中、東京専門学校を中退し、1904年柔道使節として渡米しました。この頃の世界の動きはというと、「産業革命」を成し遂げたイギリス、欧米等の列強国が、アジアの未踏の地域を次々と植民地化していき、その勢力を拡大していく、帝国主義時代です。日本のスポーツを海外に広めるといった理由だけではなく、アジア初のオリンピックの日本開催、アジアの国の代表として日本が参加する、といった目的もあったのではないかと思います。積極的に海外の文化を日本に取り入れていき、また相互交流も活発に行われていました。

ブラジルに入国した前田光代率いる柔道使節は、現地の人に日本の古武道である柔道や柔術等を教えていきます。最初に手ほどきを受けたのは、グレイシー一族(BJJの創始者は、カーロス・グレイシー)でした。日本の柔術がグレイシー一族に伝わり、レスリングやサンボ等の組技の競技が混ざり、日本の柔術がアレンジされていきます。体格差がある相手でも簡単に倒せる寝技主体のスポーツで、競技として完成したのが、今のブラジリアン柔術です。ブラジリアン柔術は、グレイシー柔術や寝技柔術とも言われます。

以上が、簡単ではありますがブラジリアン柔術の歴史になります。

ブラジリアン柔術はどんな方でも始められます

BJJは寝技主体であり、打撃がない事から、スポーツ経験がない人でも始められるスポーツの1つです。現に、私は中学校と高校はそれぞれ、剣道部と弓道部に入っており、大学はバイト三昧、ボランティア、勉強に明け暮れ、格闘技や柔道等の経験はありませんでした。ですが、社会人から始めて2年も続けられています。教室に通い始めた頃は、今までしたことない動きをするので、すぐに体力を消耗し、練習終わりの翌日は筋肉痛になりました。

この記事を読んで、少しでもブラジリアン柔術に興味を持っていただけたら、これほどうれしい事はありません。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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