された子育てからしてほしかった子育てへ
もしかしたら、これはかなり珍しいな人なのかもしれないと感じた。
多くの人はされた子育てが苦しい子育てじゃなかったのかもしれない。
息子の問題行動で困ったときに、息子から自分を辿り、もしかして?と感じていたのだけど、父も偏った特性を持った人の可能性がある。
自分が普通だと思って育ってきた環境が一般的ではなかったことを第三者から指摘されることで、ようやく受け入れられた。
私自身も統制的な子育てをしていたのだけど、コンサルを受けたときに
「その子育てしか知らないものね」
とお言葉をいただいて、そうかぁ~と背中を撫でられる感覚があった。
どこか親の声掛けにモヤモヤ感じるのだけど、
「こんなに幸せな子どもは他にいない」と言われて育ち、
そうなのだなと言い聞かせていた。
大人になって、そう言われている家庭(そこも我が家と同じニオイがする)があったりして、そんなことをいう家庭ほど、幸せを押し売りしている家庭なのかもしれないと感じた。
大人になっても続く父の統制から抜け出すきっかけになったのは、息子の問題行動だった。
困って困って、外に相談したいと思っていた。
学校の先生から問題行動について指摘を受けたとき、父は
「家で何とかすると言え!!!」
といった。
かなり私も困っていたので、外に相談する行動に出る。
学校の先生に話すこと
他に道はないかを探して本へ
本から講座へ
講座つながりの方々へ
この途中にふと思ったこと。
父は私や息子が死ぬまで生きて、あれこれ指示するのだろうかと。
どう考えてもあり得ない。
だったら、親の言うことをいつまでも聞いていてもどうにもならないと思った。
息子なりの問題の切り抜け方を身につけてもらわないといけない。
このままでは同じことをただひたすら繰り返してしまうとやっと気づけた。
父に対して私が改めて正しいと思うことを伝えることもあったけど、残念ながら受け入れられず。
最近まで理解してもらおうと思っていたこと、それは父に変わってほしいと思っていることと認識して、やっと辞められた。
父の正しさは今の私からすると正しいことではないのだけど、それは私の課題ではなく、父の課題。
父がいまだに怖いと思うこと、離れたいと思うこと、自分が思うことに後ろめたさを感じるだけではなく、ネガティブなことを感じることもOKと思えること。
世間に意識が向くと、親孝行という単語から外れる自分に残念な気持ちもわくのだけども、それはそれ、自分を大切にすることを選ぼうと思う。
これまで沢山、私なりに父を大切にしてきたこと。
父は理解できないと思うけれども、それは私の誇りにしたい。