2024年は能登半島地震の発生と震災地域のインターネット接続不良で始まりました
今日は少々気色の異なるブログです。
2024年になりましたが、元日に能登半島を震源とする大地震が発生し、2日には、被災者向けの物資を運ぶ予定の海上保安庁と民間機が衝突するという、なかなか受け入れ難い事が立て続けに起きました。
年賀状データをデザイン頂いたメディアーツ様には大変申し訳無いのですが、メールで発信予定の新年のご挨拶は、元日に急遽取りやめました。
僕には、日本海側出身の友人が複数おり、数名は高台に避難後に無事が確認出来ました。
東京で非常に親しくして頂いている友人は、奥様が石川県珠洲市出身であり、0歳の息子と家族3人で帰省をしていたところ被災しました。当初は、「ヤバい 助けてください」としか連絡が無く心配していましたが、数日の避難所生活を経た後、珠洲市から金沢市まで陸路12時間の移動、その後金沢から新幹線で無事帰京しました。ただし東京に来たのは、0歳児を含む家族3名だけで、奥様のご家族、ご親戚は、まだ珠洲で避難所生活を余儀なくされているとの事です。
彼からは、避難所生活中に「ネットがあまり繋がらないので、地震に関するニュースや交通機関情報が欲しい」と連絡があり、僕もできる限り新幹線の運行状況等を連絡していました。
インターネットは「強い」と思っていました。漠然とですが、単純に「インターネットは強い」と考え、何にも耐え得ると思っていました。2011年の東日本大震災の際、僕はサンフランシスコに行く直前の、成田空港で被災しました。何もかもが寸断されましたが、当時インターネットは繋がっており、地震の無事をSNSにあげる事も、世界各地から僕の安否確認のため送ってくれたメッセージも、支障なく繋がったことを覚えています。
ですが、今回、少なくとも石川県にいた友人からは、インターネットがなかなか繋がらないという連絡が来ています。
2012年のAPrIGFでは、慶応大学の村井純先生はご自身のKeynote Speechで東日本大震災発生時のインターネットアクセスを可視化し、確か「災害時の通信手段としてインターネットは非常に優れている、寝るときは必ず携帯電話を充電をするように」とおっしゃられていたと記憶します。僕は村井先生のKeynote Speech以来、必ず携帯電話の充電をするようにしています。
今回の被災地である石川県では、一部インターネットが繋がらない状態の人がいたようです。2012年と比較するとインターネットが目まぐるしく発展しているのは事実ですが、繋がらなかったら意味ないですよね。
今回のような大災害時に、インターネットがどの程度訳に立つのか改めて未知数だと判明し、新たな課題に直面したと思っています。
僕が出来る事はさほどありませんが、何か改善が出来る事があれば会社を通じて実行しようと、決意を新たにした2024年の始まりでした。
最後に、今回の地震と航空機事故で亡くなられた方のご冥福と、現在も避難所生活を続ける方がいち早く生活環境を取り戻せるよう、祈っております。
今年もよろしくお願い申し上げます。
村上
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?