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「コンジュジ」木崎みつ子先生

※ネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。
※あくまで個人の感想・書評です。

・第44回すばる文学賞受賞作
・第164回芥川賞候補作
・約256枚


一人の少女が今は亡きアーティストと出会い、救われる物語

 えげつない小説に出会ってしまった。読み終えてそう思った。

 本作は、主人公・せれながイギリスのバンドマンであるリアンに恋をした物語である。リアンはせれなが生まれる前、32歳という若さで亡くなったリアンは伝説のアーティストだ。
 偶然リアンを見かけたせれなは一瞬で恋に落ちる。なけなしの小遣いで雑誌やCDを買い、学校の図書館にあった伝記を読む。それだけ聞けば、よくある思春期だろう。
 だが彼女の家庭環境は厳しいもので、辛い現実が彼女に次々と襲い掛かってくる。その頃から、彼女はリアンと話ができるようになる。リアンはせれなを愛し、せれなもリアンを愛していた。それは現実からの逃避行動でもあり、彼女が自身を救済する唯一の方法だったのかもしれない。
 現実と妄想が交錯し、せれなの生活と精神が崩壊していく。淡々と描かれつつも、鬼気迫る描写でページをめくる手がとまらない
 結末はここには書かないが、「どうかせれなが心安らかに生きていけますように」と願わずにはいられない。そんな話だった。

圧倒的なストーリーテーリング

 本作の素晴らしいところは、何といってもストーリーテーリングだ。人を引き込む力が強すぎる。なんだこれ?

 せれなとリアンの対話シーンとせれなの現実シーンが交互に展開されていくのだが、せれながリアンの伝記を読み進めていくにつれ、彼女の中のリアンの解像度があがっていく様が圧巻だった。
 せれながリアンを知って間もなくの頃は、伝記を読み進める時間があまり取れず、リアンは単純に憧れの存在としてせれなの中に登場する。
 しかし、図書室で読み進めていくにつれ、リアンはせれなの中で実像をもち、まるでそこにいるかのように行動していく。それは伝記によってリアンの行動やメディアへの対応などを知り、解像度があがったことを示唆している。同時に家庭がみるみるうちに崩壊し、図書室に行けなくなったせれなは伝記のリアンの栄光時代の話しか読まなかったために、薄暗い時代のリアンを知らぬままになってしまった。そのため、妄想の中のリアンはどんどん美化されていき、辛い現実にさらされるせれなに優しい手を差し伸べる。
 このように、細かな設定の説得性が圧巻なストーリーだった。“そうならざるを得ない”、読者にそう思わせてくれるからこそどんどん物語に引き込まれていった。

タイトル「コンジュジ」に込められた意味を考える。

 「コンジュジ」とは、ポルトガル語で「配偶者」という意味らしい。せれなの父が付き合っていた女性・ベラさんが教えてくれた言葉だが、作中では「助け合って生きていく人」と表現されていた。

 読み終えた直後、私は「“コンジュジ”とは、せれなとリアンの関係性を表すのだ」と思ってしまったのだけれど、果たしてそうなのだろうか? いま思うと、ちょっと違う気がするのだ。

 ベラさんが示す「コンジュジ」=「助け合って生きていく人」が、本作の中での正式な意味だとして考えると、せれなとリアンは厳密には「コンジュジ」ではない。せれなはリアンに助けられているけど、リアンは既にこの世におらず、助け合ってはいないからだ。
 そういう意味で言うと、本作に「コンジュジ」は一組も出てこない。せれなとリアン、せれなと父、父と母、父とベラさん、せれなとベラさん、リアンとその妻、リアンとその愛人。多くのカップル(ペア)がある中で、みんな助け合って生きていけなかった。
 この作品は、「コンジュジになりたかったけどなれなかった人たちの物語」ともいえるのではないか。私はそう考えるようになった。

芥川賞受賞してもおかしくなかったのでは?

 本作は第164回芥川賞候補作だ。じゃあ芥川賞はどの作品が受賞したんだっけ? と思って調べたら、宇佐美りん先生の「推し、燃ゆ」だった。どちらも読了済みだが、系統が結構似ているなと率直に思った。少女が「推し」に頼りながら、辛い現実にさらされる。ただ現代社会を時事的にとらえていたのが「推し、燃ゆ」で、独特の世界観で少女の救済を描いたのが「コンジュジ」だった、という感じ。レベルに大差なく、社会情勢の問題だったかもな、と偉そうに考えてみる。たぶんあと10年後に読むなら、「コンジュジ」のほうが共感を得るかも、と思った。

 偉そうに書いてきましたが、間違いなく傑作です。
 せれなの現実の描写は結構過激で、正直受け入れられない人もいるかもしれませんが、気になる方は、ぜひ。

 終わり! 
 

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