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342. 「LGBT に生産性がない」というのは本当のことでしょう?子どもを作らないんですから。本当のことを言って何が悪いんですか?(訂正あり)

LGBTをはじめとする性的マイノリティを傷つけることになる。だからそんなことは言ってはいけないと私は思います。

レズビアンとゲイに話を絞りましょう。

ではなぜレズビアンとゲイは傷つくのか。

性的指向は自分の意志で変えようと思って変えられるものではありません。

自分ではどうしようもないものなのです。

世間の物差しは「子どもを作る=生産性がある」となっています。

同性に性的な感情を抱く同性愛(レズビアンやゲイ)は結婚ができたとしても、子どもができない(養子縁組や里親、代理母出産の話は置いておきます)。

その世間の物差しに当てはまらないことを責められても、当事者はどうしようもないのです。

本人が「望んで」同性愛者になったのならまだしも、同性に性的に惹かれる感情は自分ではコントロールできないものです。

それを非難されるということは、当事者にとっては大変心が痛い、傷つくことになります。

私たちは人生のさまざまな場面で、無意識に何かをしたり言ったりして人を傷つけてしまうことがあります。

その時に、相手を傷つけてしまったと気づいたら、「そういうつもりではなかった」と言って謝りますよね。

逆に、相手が傷つくことでも「本当のことだから」と「生産性がない」と発言するのは、意図的にその人を傷つけていることになりませんか?

そんな「言葉の暴力」は正当化できないと私は考えます。

今年(2023年)の元日に「慈しみ」というタイトルの記事でお釈迦さまの言葉を引用しました。生きとし生けるものに「幸せであれ」と願う心は大切だと思います。

同じ『スッタニパータ』に次のような言葉があります:

自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。

『スッタニパータ』第三 大いなる章 92ページ

「本当のことだから何を言ってもいい」というのは大変稚拙な考え方、子どもの言うことです。

お釈迦さまの時代(約2500年前)にもそういう人がいたのかもしれませんね。

余談:私は仏教の本が好きでよく読んでいますが、特定の宗派の檀家になっているとか、仏教系の新興宗教に入っているということはありません。皆さんを特定の団体に勧誘する意図などはありません。ご存じのように、インドから中国・韓国をへて日本に伝来した仏教は大乗仏教でした。大乗仏教の経典の中にはお釈迦さまが亡くなられて500年も経ってから作られたものもあります。私は個人的に、実在の人物としてお釈迦さまは何を教えられていたのかということに興味があるので、『スッタニパータ』のような「原始仏典」と呼ばれるものを読んでいます。

修正:『スッタニパータ』からの引用は「慈しみ」ではなく、「大いなる章」の部分からのものでした。訂正してお詫び申し上げます

参考資料

画像:UnsplashDakota Corbinが撮影した写真