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180.LGBTを差別しない、同性婚を認めるというふうになると、やがて小児性愛やSM,スカトロも認めるということになりませんか?

そういうふうにはなりません。議論が飛躍しています。LGBT、アセクシュアル、Xジェンダー、ノンバイナリー、クエスチョニングなどこれまで私が一連の記事で扱ってきた性的マイノリティは、「病気とは認められていません」(トランスジェンダーも「性同一性障害」という病気の区分に入れずに、WHOが作成する『国際疾病分類, ICD-11』(International Classification of Diseases)では「性別不合」という言葉で精神及び行動の障害から外され、精神疾患とは考えられていません)。俗に言う「ショタコン(男児を好む)」「ロリコン(女児を好む)」「SM(相手を虐待するもしくは被虐することに性的興奮を覚える)、「スカトロ(糞尿嗜好)」などは本人ないしは相手が傷つく可能性がある性行動が異常」という基準に当てはまり、精神疾患として捉えられています。

小児性愛者は自分では正常だと思っているかもしれませんが、単に暴力や威圧的な態度、反抗できないような状況に相手の子どもをおき、相手の子どもも自分のことが好きであると錯覚するケースがあります。しかし、青少年への性的虐待は法律で禁止されているものであり、大人が子どもを性の対象とすればそこには自ずと力関係が働き、知力・体力的にも大人に敵わない子どもが性的に搾取されるという状況が生まれます。現在の日本の社会ではそれは許されていません。法律で禁止されているのです。一方、同性愛、両性愛、性別違和(性別不合)は法律で禁止されているものではありません。ここが大きく異なる点です。LGBT+の権利について活動している人たちは、法律で禁止されているものを禁止するなと主張しているわけではありません。同性婚についても、先日(2021年3月)札幌地裁は同性婚を認めないのは「違憲である」と判断しています。同性婚を認めたからといって、元々法律で未成年者に対する性的虐待を禁止することが定められているものを「法の下に認めろ」と声をあげる人がいるのでしょうか?小児性愛は精神疾患として治療の対象になります。LGBTは治療の対象にはなりません(トランスジェンダーについては上記ICD-11の国際分類がありますが、日本ではまだ議論の余地があるでしょう)。

サディズム・マゾヒズムは相手に肉体的・精神的に傷を負わせる可能性があり、糞尿嗜好は自分自身の健康状態を損ねる可能性があり、これも「異常」と捉えられます(ただし、「プレイ」(一時的な性的刺激を取り入れる方法)として、相手を縛ったり、動けない状態にして性的な刺激を与えたり、そういう状況を好む場合もあるため、それは「常態化」していないことが判断の基準になると考えられます)。

繰り返しますが、青少年を性的に虐待することは日本ばかりではなく世界のさまざまな国で禁止されています。大人と子どもというパワーバランスが異なる間での性関係は法律で禁止されるということです。一方、同性愛・両性愛は(中には小児性愛者もいるかもしれませんが)成人同士の関係であり、それは法律では禁止されていません。ですから、LGBT+を差別しない、偏見を持たない、同性婚を認めるよう働きかけるということと、小児性愛・SM・糞尿嗜好などを認めるということは別次元の話なのです。同性婚を認めたから、じゃあ次は小児性愛も認めなければなりませんというふうにはならないのです。昔は子どもを性的に搾取することも認められていましたが、それは現代では許されません。逆に同性愛は昔は外国では罪であるとされたり、法律で禁止されたりしていましたが、現在ではその存在が認められるようになってきました。この2つの流れは全く逆です。


参考資料

針間克己 2019  『性別違和・性別不合へ〜性同一性障害から何が変わったか』緑風出版