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重要意思決定機関「教授会」が抱える問題

今日は読書メモではなく、大学における意思決定について書いてみたいと思う。

一般にも知られているかもしれないが、学部における最高意思決定機関は「教授会」と呼ばれるものだ。
具体的には、専任として雇用されている教員全員が集まり、その学部における重要な(?)意思決定を下す場所で、だいたい月1回程度開催されている。


1. 教授会が抱える問題点
①参加者数
前述の通り、教員全員が集まる場であり、私が担当している学部でも50名以上が参加している。
これがまず、多すぎる。
50名も集まれば、一言も発言しない人が大半であり、彼らにとっては「時間の無駄」と思っているのではないだろうか。
教員は時給で働いているわけではないものの、50名に対して毎月2時間ほどの工数が割かれていると考えると、時間コストは相当なものだ。

②議題の大小
まず、最高意思決定機関と言いつつも、扱う議題の大小が大きすぎる。
例えば、
「コロナ禍における授業実施方法について」、これは全ての授業に関わる大きな意思決定。
一方で、
「体育会○○部のとある学生が退部した」、これは全教員で議論するものなのだろうか?トピックが極めて小さすぎる。


2. なぜこのような意思決定方式をとるのか?
多くのメンバーで、議題の大小問わず審議する教授会、
この背景にあるのは、「みんなで決めれば、怖くない」的な、責任の薄まり(=安心感)があるのだろう。

意思決定には、必ず失敗のリスクが伴う。
そのリスクを全員で分かち合うための儀式として、こうした全員参加の審議体が存在する
のだろう。

大小問わず審議するのも、「小さなことでも責任が伴う意思決定がしにくい」という個々人の不安感が背景にあると感じられる。


3. 我々はどうするべきか?
おそらくこのような意思決定方式は、古い会社ではまだ残っているかもしれないが、変化の幅とスピードの激しいビジネス界では淘汰されつつあるだろう。
しかしながら大学というフィールドでは、まだ当たり前のように行われている。

大学といえど、変化の幅とスピードは激しくなる一方だ。
月1回という頻度、しかも責任の所在が曖昧な意思決定を繰り返していては、大学は進化できない。

少しずつでもいいので、
「意思決定権を個人に委ねる(権限委譲)」
「一人ひとりが、小さな意思決定から逃げない(“決める”胆力を磨く)」
をしていかなければならないだろう。

そうした「チェンジマインド」を民間出身者としてしっかりと発信していくことが、私の使命だと感じている.

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