那智勝浦町昔懐かし話 第36話

第36話『たこ焼き売りのおばちゃん』
 
以前行商のおばちゃんの事を書きましたが、勝浦にはまだまだ面白にくめないおばちゃんがおったのであります。さて、久しぶりに幼稚園時代までタイムスリップであります。てわでわ第36話です。
 
それは、約半世紀前(おっちゃんも歳とったなぁ~、50年前やもんなぁ~)誉れある勝浦幼稚園時代の話である。おかっぱ坊ちゃん借りのタケちゃん(僕ちんのことであります)の小遣いは1日10円であった。かなりの悪たれ坊主だったタケちゃんは、年小組から幼稚園には入れてもらえず2年目から入園した。その時に未だに友達であるナカシャとタコちゃんたちと出会うのである。ここからタケちゃんの人生はアホな方へ狂い出すのです。当時行商のおばちゃんもそうだが屋台とかで町内を廻るおばちゃんたちがおり、その中で屋台を引いてたこ焼きを売るおばちゃん(今から考えるとおばあちゃんやね)がいたのである。使い込んだ木でできた屋台。大きな車輪がついていて屋台の中にはたこ焼き用の鉄板、プロパンガス、水で溶いたメリケン粉(今メリケン粉って言うものおるんかな、うどん粉とも言います。要するに小麦粉のことね)の入ったバケツと手しゃく、きれいな水道水の入ったバケツ、鉄板の横には大きなカンカンに入った秘伝(ほんまかいな)のソースにハケ、青のりが入ったカンカン、鰹節の入ったカンカン、紅ショウガの入ったカンカン、つまようじの入ったカンカン、タコのぶづ切りの入ったタッパー、船型の竹の皮で出来た入れ物、そして必殺仕事人が持っている千枚通し(たこ焼きをくるっとひっくり返すあの先のとんがったあれです)を置いていた。そして屋台のバケツの横には古新聞をある大きさに切った包み紙を置いていた、薄汚れた屋台ののれんには、たこ焼きと手書きでかかれていた。また、おばちゃん屋台には呼び鈴も付けられていた。僕ら仲の町3バカトリオは良く幼稚園終わってから午後まわってくるたこ焼き売りのおばちゃんの屋台でたこ焼きを買った。当時は、たこ焼きかユミネ商店の駄菓子である。たこ焼きは、本当いうとタコそのものを焼いているものでなく、「タコの切れ端と紅ショウガがはいったメリケン粉でと丸く包んだもの焼き」が正しい名前ではなかろうか。おばちゃんは、子供が小遣いでも買えるように3個10円の物と大人用15個50円で売っていた。「たこ焼き~、たこ焼きいらんかいのし~。チリン、チリン」僕らは紅葉のようなかわいい手に10円握りしめて「おばちゃん、うって~、たこ焼きうって~」と天使のようなかわいい声でおばちゃんからたこ焼き3個買うのである。「あいよ、タケちゃんらいつもおおきによ。ちょっとまってな~」「おばちゃん、はよしてよ~、腹へっておなかとせなかくっつくわ~」「ほんまかいなぁ~、そしたらお母さんにくっついたのはがしてもらわなあかんがな~。あはははっ」と言いながらおばちゃんは、まず舟形の入れものの底に一度ハケで秘伝のソースを塗り千枚通しでカリカリに焼けた(最近べちゃっとなっているたこ焼きあるけど、たこ焼きはカリカリやないとあきまへん。)たこ焼き3個を取り上げ舟形の入れ物に乗せその上がまた秘伝のソースをハケで塗りその上にまず鰹節の粉をかけ、その後青のりをぱらぱら。そしてつまようじを1本たてる。(まったくの独断だがたこ焼きは、かりかりで入れ物の底にソース一度塗り、たこ焼き入れてもう一度上からソース塗り、後ここが肝心だが、つまようじを1本しか差さないたこ焼き屋はろくな店ではありまぜん。いくつ入りかにもよりますが10個以上入っているならお客さんが分けて食べるだろうと思って2、3本つまようじを入れるべきである。入れてない店はお客さんのこと考えてません。あくまで独断ですが。)「はい、10円ね、おおきによ。走ってこけたらあかんで~、気つけなあよ~。」「だいじょうぶやよ、おばちゃんおおきに~、あ~」案の定タケちゃんは、つまづいてこけるのである。僕らには3秒ルールというのがあって落とした物は、3秒以内なら食べても大丈夫というアホなルールがあるが、一度こけたら中々立ち上がれないのでこのルール通用しない。僕が困った今にも泣き出しそうな顔をしているとおばちゃんは、「いわんこっちゃない、アホやね~、ほれ」といって新しいたこ焼きをくれた。この時ほどおばちゃんが、神様に見えたときはない。「おばちゃん、ほんまおおきに、おおきによ~」
「あいよ~」そう言っておばちゃんは、また屋台を引いて行ってしまった。
「たこ焼き、たこ焼きいらんかいのし~。」
追伸 おばちゃんの屋台は、夏になるとたこ焼きとワラビ餅も売っていました。
 
第36話終わり
 

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