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うちの長男が記憶喪失になりまして

映画やドラマでよくみる記憶喪失。実際に会ったことありますか?
ぼくはあります。笑

昨年、うちの長男が記憶喪失になったんです。サイエンスフィクションの病気ではなかった。

先によくある質問(FAQ)に答えておきます。

「記憶は戻ったんですか?」
「どれくらい記憶は戻ったんですか?」

が、ベスト3に入る質問です。当然気になりますよね。

答えはこうです。
「だいたい3割くらいですかね。ぼくの感覚では。」

なぜ当人の感覚ではないのか?
それは記憶をいったん全部忘れたので、母数(覚えてたことの全量)がわからないからです。自分の名前すら覚えてたのか、教えられたからそう思ってるのか、よくわからない感覚だそうです。そりゃそうですよね。

なので、先の回答のように、ぼくが彼と話してたりする中で、覚えてること、覚えてないこと(知らないこと)から推測するとだいたいそんな感じです。

でも安心してください!笑

いまは日常生活は普通にやってますし、前からやってた塾講師のバイトなんかもやってます。

えらいなと思ったのは、彼が記憶を失ってから何してたかというと、スマホのLINEとかに入ってる(彼にとっては見知らぬ)人に飛び込み営業して(笑)自分のことを知ってるだろう人に連絡を取ったことです。すごい勇気だなと思います。

で、彼がなぜ記憶喪失になったのか。

これもよく聞かれる質問なんですけど。笑
それは癲癇(てんかん)の発作によってでした。通常の発作ではそこまでのことは起きないのですが、この時はICU(集中治療室)で入院するほど意識を失ってしまいました。

翌日、会いに行った時は、体力も失い寝たきりで、自分の名前すら覚えていない状態でした。

正直、ショックでした…。
記憶うんぬんより、身体能力を失って排泄すら自分で何もできない姿をみて、この先このままだったらどうしようという不安の方が大きかったですね。

ただ家族の手前、そんなことは表に出さず(たぶん)、ただ淡々と事務的な手続きをし、先生の話に耳を傾け、コンサルばり(本業だけど)に事実確認と考えられる仮説検証、今後の可能性とオプションをひたすら考えてました。

もちろん、長男が生きてるだけでありがたいという気持ちは持ち続けてましたね。

彼は幼年のころに癲癇を発症しました。最初に気がついたのは、友人家族と食事に行った帰り。横断歩道を渡る時に、なんかニコニコしながらフワフワしてるなと思って名前を呼んだときにスルーされて。何度声をかけても遠くを見てる感じでした。

当時は癲癇の発作なんて、ポケモンみてたら「テレビを見るときは部屋を明るくして画面に近づきすぎないようにしてください」とテロップが出てるのを見て知ったくらい。
「ピカチューの10万ボルトやばい」くらいの認識しかなく、何が何やらわかりません。(調べたら原因はポリゴンでした。)

「言の葉の魔力」より

それから発作との付き合いが始まりましたが、大きな事故もなく成人を迎えてます。水難事故、交通事故など、意識を失って起きる事故は常に日常にあったので、決して大袈裟なことではないんです。

で、10代前半には開頭手術を受け、長期入院も経験しました。

脳の手術なので、近所の病院というわけにいかず、片道2時間以上かかる病院に入院には親の覚悟も必要でした。

手術は休学をなるべく抑えるために夏休みに実施することになりました。
その時、アトピー持ちの次男は小2。やっかいな問題です。

小学生の夏休み。子どもはずっと家にいることになるじゃないですか。
当時専業主婦だった妻は、ほぼ毎日6時間ちかく長男の世話のために出かけなければならないのです。ぼくは仕事あったし。いや、無理ゲーでしょ…。

その時、ぼくの中であるアイデアが閃きました!そのアイデアとは。

ぼくは3人兄弟の長男で、弟がニューヨークに住んでました。
「次男を弟のところに預ければいいんじゃないか。年の近い従兄弟がいるし、次男にとっても素敵な経験になるに違いない。」
ものすごく素晴らしい一石二鳥なアイデアに思えました。

が、「いや待てよ。そんなにうまくいくはずない。次男が承諾するはずがない。」とか思いながら、ダメ元でズバッと言ってみた。

「ねぇ、今度さ、夏休みにニューヨークの○○(弟)くんのところに一人でいいてみない?」

次男は黙って考え込み、しばらくして口を開いた。

「うん、いいよ。」

いや、いま考えても何で彼が一人でNYに行こうとしたのかわからない。でも奇跡は起きました。笑

そして7歳の時に、彼は単身で14時間のフライトを経て、NYに渡ったのでした。もちろん航空会社のサポートサービスを利用したので、ちゃんと弟に引き渡していただきました。帰りも一人。改めて冷静に考えるとすごいな。笑

この時の経験があったからこそ、彼はこのあと一人で屋久島に行く決心ができたんだと思います。(このエピソードは「次男が不登校になりまして」を参照ください。)

はなしを戻そう。(松陰寺風)

長男はその後、手術を無事に終えて、薬を飲みながら日常生活を送れるように回復。ただ、2度の長期入院などが、学校でのいじめや学業の遅れなどにつながり、後の進路などに大きく影響しました。

いろいろなことがあって、やっと受かった大学も、あることをきっかけで学校にいけなくなります。長男よ、お前もか。思わず、心の声が口に出てしまいます。笑

学校に通えないから通信に変えたりとかしながら、普通の生活をしてた矢先に、これまでにない大きな発作を起こしました。詳細は割愛しますが、同じ日に2度救急車で運ばれる前代未聞の事件。

そしてICUに運ばれ記憶喪失になっちゃいました。先述の通りです。


記憶をなくしたことは、全然、暗い話ではないんです。もちろん、本人はいろいろな不安を抱えてはいますが、いま元気に暮らしてて、記憶喪失の1週間前に保護猫譲渡会で彼が選んだ2匹の猫たちと幸せに過ごしてます。

で、よかったことが1つあるんです。
それは彼がピュアになったこと。もともと心優しい子どもでした。それがいじめにあったり、荒れたり、親と確執があったりしたことも、綺麗さっぱり忘れてくれたので、小学校低学年時代の純粋な少年の心を取り戻してくれたんです。

だからなのか、猫たちは長男に一番懐いてます。ぼくは警戒されて避けられっぱなしだけど。笑

人間、生きていくとどんどん擦れたりしますけど、中が変わるわけではないんですね。手垢がついたり、傷ついたりするけど、心根は変わらないんだと、記憶喪失の体験で知りました。

なので、以前より家族の中は良くなりました。笑

記憶喪失は原因不明で、恐らく今後劇的な記憶回復は見込めないんだと思います。お医者さんもそう言ってますし、ぼくもそう思います。

でも記憶が回復しないことは受け入れ難いことではないとも思えています。
人間は何かを失うことを恐れますが、恐れなくても大丈夫。家族で一緒に過ごした思い出をほとんど覚えてなくても、まったく悲しくありませんでした。

ぼくが薄情なだけかもしれないけれども、いま一緒に過ごして、笑って、ご飯食べて。それで幸せを感じます。映画やドラマのようなドラマチックな展開はないけども。

たまに一緒に散歩してます。そこで「これ覚えてる?」とか話してる時間がただ楽しく、かけがえのないことに感じるんです。
そういう日常がいつまでもつづくといいな。

あとは、この経験を長男くんが小説にでもしてくれることを期待しながら、この行く末を見守っていくかな。


いただいたサポートは次の創作に役立てます。 これからもどうぞよろしくお願いします。