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うちの次男が不登校になりまして

息子たちについて話す機会が多いので、面倒くさがりのぼくとしてはnoteに書いておいた方が早いのではないかという結論にいたった。

もっと早くやっておけばよかった。笑

次男は幼少の頃からアレルギー体質で、何食べたらよいの?というくらい数えきれないアレルギーを抱えてました。アトピーもひどく、年がら年中血だらけで、夜は痒くて眠れない。

ちょっとでも睡眠をとって欲しい親心で、背中を傷つけないように、かゆみへのカウンターとして適度な刺激を与えながらさすると、すーっと寝てくれたりもするのだが、ちょっとでも止めると起きてしまう。

腕の中で寝た赤ん坊を置くと、その瞬間に泣き出すような、あの感じ。なんのセンサーなんだろうね、あれ。笑

まぁ、そんな感じの日常でした。

小学校3年生の冬。ある日突然、本当に突然。
「ぼく、屋久島にいく。」と言い出した。

ぼくの両親は屋久島に住んでいた。縁もゆかりもなかったのだけど、定年を迎えて田舎暮らしするっていう、あれです。

で、年に1回くらい家族で屋久島にいくことがあったのだけど、たぶん、次男くん的にアトピーによいと思ったからなんだろうね。理由をちゃんと聞いたことなかったけど、今度聞いてみよう。

ちょうど春休み前だったので、その期間をお試し期間にしてみようと考えた。
「春休みに一人で行ってきて、気が変わらなければいいよ。」と送り出した。

「えっ!一人で小学3年生が屋久島にいったの?」ってよく驚かれます。
まぁ、ぼくが何したわけでもないけど、「そうですよー。」と毎回ドヤ顔で回答しております。笑

これにも実は伏線があって、その1年半前くらいに、彼は単身でニューヨークに行ったことがあります。このあたりのエピソードは、近日公開予定の「うちの長男が記憶喪失になりまして」(仮)でお伝えできればと思います。笑

なので、次男にとっては、屋久島に一人で行くことは大した冒険ではなかったのかもしれません。

かくして彼は小学4年から、屋久島で祖父母と暮らすことになったのです。

この時から、ぼくと妻は交互に月1回くらい、屋久島へ次男くんに会いに行くという2拠点生活をするようになりました。

10年以上前、まだワーケーションなんて言葉がない時に、スマホとパソコンを持って島で仕事してました。facetimeで役員会に参加するなど、そんな働き方できたのも会社と同僚に恵まれたおかげです。本当に感謝です。

「屋久島!大自然に囲まれてのびのびと育っていいですねー。」
たいがい、こんな反応をいただきますが、残念(?)ながら、彼は中学で不登校になります。笑

いやぁ実際、ぼくも自然の中でのびのび育つもんだと思ってました。笑
しかし、事実は小説よりも奇なり。想像もしてなかった展開が訪れるものです。

最初は体調が悪いと休む頻度が少し多くなって、そのうち学校を数日、数週間休むのは当たり前に。スクールバスに乗らず、車で送り迎えしても、保健室へ直行直帰だったり、門の前で「やっぱり帰る。」と往復することも珍しくなかったです。

その頃のぼくは不登校というものにまったく知識もなく、サボりとの差すらわからなかった。

学校のカウンセラーには「発達の疑いがあります。」みたいなコメントもらって。
「発達?」
「疑いって何?」「なんではっきりいってくれないの?」
とか、そんな「???」(クエスチョン)状態。

いろいろググったり、専門家の意見を聞いたり、不登校や引きこもり、発達障害について調べました。

そして、わかったこと。 → 思ったより多く不登校の人はそばにいた。

ぼくはなんでもオープンに話す方なので、何かきっかけがあると次男が不登校になった話などする。そうすると
「私も不登校でした。」「子どもが不登校でした。」「兄妹がいまもひきこもりです。」など、打ち明けてくれる人が多く、とても驚いたものです。

知らなかったんですけど、義務教育って留年はないんですね、基本的に。
無事?中学は卒業して、なんとか高校も入学したんですけど、やっぱり学校にいけなくなり、家族内で相談して中退しちゃいました。

いま、わが家のひきこもり君は、躁鬱などの波はあるけど、家族と(だけ)は笑って話したり、時には散歩したり、家族麻雀したり、千葉ロッテマリーンズの応援したり、まぁまぁいい感じで暮らしてます。思い切って学校やめたのは良い選択だったなと思います。

ただ、不登校になった当時は、一緒に暮らしてたおばあちゃんが根をあげてしまいました。頭では無理に学校に行かせない方がよいとは思っていても、昔の人ということもあり、学校は行った方が良いという考えが消えません。
介護とかと一緒で、世話をやく家族は不寛容な自分を責めて、最終的には両者にストレスとなる悪循環が起きて。

なので、その時、一緒に住んでなかったことは悔いが残ります。母にも、次男にも申し訳なかったなと思います。

「起きたことはなんでもいいこと」ってよく聞きますけど、ぼくはそれには断固不同意です。だって、嫌なことはない方がいいに決まってる。

ただ、もし自分いま幸せを感じてる瞬間が少しでもあるとしたら、それは全ての出来事がつながっている結果であるとは思います。それこそ忘れたいくらい嫌なことも時間の連続の中で存在していたってことではあります。

だから、過去の嫌な自分にも、出来事にも、少し心許してあげてもいいかなとは思いますね。

ぼくが会社をやめて個人事業主になった理由の一つは、この社会不適合な次男が働ける場を作れたらいいな、と思ったこと。会社を辞めた理由は他にもあるので、それはまた別の機会に語ろうと思います。

さて、ひきこもりの次男は、いまぼくの目の前で、頼んだ仕事をしています。ぼくがもらった名刺をアプリで登録するっていう単純作業。この程度のことも、できたりできなかったり、波は大きいけど、少しずつ歩んでいるかな。

いただいたサポートは次の創作に役立てます。 これからもどうぞよろしくお願いします。