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混沌とした世界の中で、Anoiceを聴くということ

Anoiceが新しいアルバム「The Hidden Forest」を9/17にリリースした。
A4 Box Sizeの限定版には、Naoko Okadaさんの絵やインスタント写真がセットになっていて、幅広い世界観を堪能できる仕様になっている。
一部店舗では先行販売されたり、BandCampで販売されていたけれど、限定版は売り切れているかもしれない。

実はもうずっと、というかかなり長い間スマホの壁紙として勝手に使っている(違う…使わさせて頂いている)絵が、ジャケット写真に使われていて気になっていた。
そしてこのアルバムを手にして何回も聴いて、時々聞き流すようにして。
そんな時にスっと耳に入ってくるというか、身体に入ってくる音に気がつくと「The Promised Day」だったりして。

そんなこんなで、AnoiceやNaoko Okadaさんのことで感慨深いものが溢れてきたので言葉にしておこうと思い、つらつらと書き始めている。
AnoiceからNaoko Okadaさんへのプレゼントの意味もあったりするのではなかろうか、なんて勝手に思い込んでいたりするのだけれど。


BandCampにて、A4 Box Sizeの限定版を買ったのだけれど。

手元に届いたダンボールの箱に記された住所を見て、あぁ!なるほど、素敵な場所!と納得してしまったり。
箱を開けた時に綺麗に包まれたプチプチを見て、おぉ…。と思わず感嘆したり。
中身であるBoxを開けた時の、独特の紙の匂いや、内包されていた絵や写真、文字、ちょっとした指の型?を見て、久しぶりに遠い知り合いの温もりに触れたような気がして、いろんな高揚感に包まれた。

電子にはないアナログなもの。触感や匂い、そしてどこなく感じるものづくりへの熱量。

Anoiceの音楽を聴いている人は、海外のユーザーが多い気がしている。
そしてその音楽はダークとか、アンダーグラウンドとか言われている。
…らしい。
個人的にはあまりそれほど感じないのだけれど。
いや多分、どちらかというと根暗な方で、暗い音楽が好きだったりするのはあるかもしれない。


Anoiceというバンドを知ったのは、Naoko Okadaさんのレムという狼の絵がきっかけだった。

2013年頃だったと思う。
かなり前のことで定かではないけれど…おぼろげな記憶を頼りにネット検索してみた。

その年は憂鬱なサイクルの真っ只中にいて、自分のことでうまくいかない日々の精一杯さが続いていた時だった。
そして、実家で飼っていた犬が突然家からいなくなった年でもあった。

そんな時に何気なく見た、新聞の折込チラシの一枚。
何人かのアーティストの絵が、ショッピングモールの一角に一緒に展示される催しもの。
そこに紹介されていた、たくさんのアーティストの名前と絵の一部。
その中の一つだけが、勢いよく、というか明らかに違う空気を纏っているように見えて釘付けになった。

森の中に描かれた、一匹の白い狼の姿。

あれはなんて言ったら良いかわからない。
ただ惹かれるように、目が離せなくなった。
なぜだかわからないけれど、見に行かなければと思って、衝動的に足を運んだ。

そこには小さな、本当に小さな一角に、いろんなアーティストの絵が所狭しと飾られていた。
確か1人、2人いたくらいだった気がする。
端からゆっくりと見ていく中で、しばらくして探していた絵を見つけた。

森の中に描かれた、一匹の白い狼の姿。
他の生き物が描かれていないから余計にそう感じたのか、どこかもの悲しそうな姿。
でも力強さと繊細さと、溢れ出る生命力の渦と。
しばらく放心したように、動けなかった。

そこに、自分の飼っていた真っ白の毛色だった犬を重ねていたわけではないけれど、でもどこか重なって見えたものはあるのかもしれない。
長年一緒にいて、家族のような友人のような、でもどこか違うような、不思議な距離感の存在だった。

もっと言えば、人生においてそう何度も訪れることのない出来事を経験して心がくじけそうな時に、一緒にいてくれた存在でもあった。
戦友とでもいう距離感もあった気がする。

そんなことを思うと、あの絵を見たときにレムという一匹の白い狼と、描いているNaoko Okadaさんとの距離感が自分のものと同じように感じたのかもしれない。
とてもおこがましいような失礼な話だけれど。

それから、時々Naoko OkadaさんのSNSとかホームページとかをちらちら見たりして、あるときYuki Murataというアーティストのジャケットを手がけていると知った。

「Gift」というアルバム。
このアルバムは一年くらい、朝起きてからぼーっとした頭で聴いていた気がするのだけれど、目覚めてからの音楽に良いので、ぜひ。
朝の電車に揺られながら聴いていると、睡魔が…。


そこから、連鎖的にAnoiceという存在やRiLF、filmsという存在を知っていった。
films → RiLF → Anoiceの流れだった気がする。
多分というか絶対、SNSがなかったら気がつくことなく過ぎ去っていたと思う。
時代の技術のおかげだな、とつくづく思う。

そしてようやく、Anoiceの話題に戻ってこられたのだけれど。
最初に聴いたのは何だっただろう。
「Ghost in the Clocks」だったか、「The Black Rain」だったか。
はたまた何かの曲のMVだったか。
記憶が定かではないけれど、最初に感じたことは覚えている。

あまりにも残酷なまでに、現実を映し出す音楽、なんだなと。

悲惨な光景とか、目を覆いたくなるような景色とか、絶望しかない日常とか、どこかネガティブなものを伝えようとする時はいろんな手段があると思う。
そして、いろんな人が自分のフィルターを通して見つめ、その時々で主観的に見たり俯瞰的に見たりし、どこか加工して伝えてしまう。
それが悪いとかではなくて、想いが強くなるからどうしても必然的にそうなってしまうのはわかる。

ただ一番残酷な伝え方で、一番心に残るのは、見たものをありのままにそのままに、自分のフィルターを使うことなく伝えることだと思う。
いかに自分が背景として存在するかみたいなもの。

Anoiceの音楽は、そんな気がする。

だから、かもしれない。
生きる人の足音や匂い、風景に残る音や肌の質感みたいなものをリアルに感じる。

戦火の足音、崩れ落ちる何かの音、燃えるような音、どこか叫ぶような声。
自然と湧き上がる、誰に対してかわからない、怒りや憎しみ。
ただ呆然とするしかない、漆黒の絶望。
でもどこかに沸々と眠っている、生きることへの執念のような熱。

生きるとは、死とは、争いとは、憎しみとは、希望とは、絶望とは。
音を通して見える景色から、たくさんのことを問われている気がしてならない。

折に触れて考えることはあるかもしれないけれど、普段こういうことを考える機会は少ないし、目を覆いたくなることの方が多いかもしれない。
普段から考えていたら精神衛生的に良いとは思えないから、そういった面でダークだったりアンダーグランドとか言われたりするのでは、とか勝手に思ってしまう。

余談だけれど、この前の8/9にAnoiceの公式SNSが「Ghost in the Clocks」のつぶやきをしていたのを見て、衝撃を覚えた。
何とは言わないけれど、英語表記の曲が基本なだけに和訳してみるとかそういった発想はなくて、言われてみれば確かにそうだけれど…と、アルバムを聴き直した。
そういった視点で聴いたアルバムは、また違った世界が見えて、少し、というかかなり苦しかった。

そんなことを書いていてだけれど、RiLFやfilmsはまた違った世界を見せてくれるし、最近ではラジオのジングルやテレビドラマの音楽を担当していたりと、いろんな表情の音の世界を見ることもできる。


今回のアルバムは、Anoiceの音楽の中でどこか異質感がある気がしている。
どこかファンタジーのような、でも現実の世界のこと。
その世界で削ぎ落とされた、純粋なものというか。

今の世界や社会の状況もあいまっている気がする。

現実と非現実が、日常と非日常が、どこか崩れ落ちて境界が曖昧になり、一体どこを歩いているのかわからなくなるような、そんな世界に迷い込んだような。
でもそこには、息をひそめながらも、生きている生命がいる。
そう…息をひそめて、確かに進んでいく現実の世界で歩いていく。
いろいろな想いはあるけれど。

生きることは、どこか張り詰めたような空気でなにかと戦っていかねばいけないし、時々誰かに傷つけられたり貶められたり笑われたりするけれど。
同じくらい嬉しいことや思わず笑顔になってしまうこととか、スキップしたくなるような心弾むこともある。

そんな当たり前のような、目に映らなくなってしまった小さな出来事とか、生きるということのもっと純粋なものというか、いろんなものがこの音の森の中で体験できる気がする。

たくさんのものが混ざり合ったような混沌とした世界で、いろいろな想いはあって、どこか張り詰めた空気で押しつぶされそうだけれど。

明日を、今を生きるために、Anoiceの音楽を聴く。
現実から目を背けないように。


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