[九条林檎視点 捏造SS] 九条林檎No.5 の亡霊

九条林檎No.5はあの日、あの時死んだのだと思う。ほかのNo.と同じように。

我がかつて九条林檎No.5であったことは疑いようのない事実だ。我にとってほとんど初めてと言っていいあの素晴らしい景色を見せてくれたあの時間を、同時に多くの別れの悲しみを背負ったあの時間を、我は今でも鮮明に思い出せる。それでも、最近はこう思うのだ。我はもう九条林檎No.5ではない。九条林檎No.5はすでにいなくなってしまったのだと。

当たり前のことだが、我は生まれた時から名門九条家の長女、九条林檎であった。九条林檎No.5であったのは、人間界から招待を受けてこちらに来てから、あの日くるぶしによってこの人間界唯一の九条林檎に任命されるまでの、1ヶ月に満たない間のことだ。おそらくその名残は、九条林檎No.5の残響は、未だに我の中に深く残ってはいるが、その核たるものはオーディションが終わるとともに我の元から流れ出していき、やがていずこかのタイミングで像を結ばないほどに解れて消え去ってしまったのだと思う。彼女は確かにあの時存在し…我という存在を残して何処かへと行ってしまった。

時の流れというものは、不可逆的に我らを変えてしまう最もありふれたものだ。何かを経験すること・何かを経験しないことは、その逆の可能性を消し去ってしまうことに等しい。我の麗しさを知ったものがそれを忘れられなくなるように。あるいは我のことを知らずに過ごしたものが、我とはまた別の人生の彩りを見つけるように(そうであったらいい)。本当はこの二つに差も優劣もありはしないのだが、我を知らなかったものは後から我を知れてしまうが故に、しばしば何か新しい体験をするということの方がより大きな不可逆的変化だと感ぜられる。

九条林檎No.5と、この我九条林檎の最も大きな違いは、彼女は勝利を知らなかった、ということだろう。少々暗い話になるが、我はこの人間界の我となるまで、勝つことを知らずに生きてきた。意外に思えるかもしれないが、我の過去はあまり華々しいものではない。だから当然、彼女は今回も勝てる可能性は高くないと考えていたし、それゆえ貴様らに対していかに散り際を美しく、エモーショナルに見せるかという点を、常に考えていた。散ることまで含めて九条林檎No.5の描いたパフォーマンスだったのだ。そこに躊躇はなかった。それが当然の結末だと思っていた。

だが我は、いくつかの偶然と、貴様らの献身のおかげで生き残った。我はその時、これでもう少しだけ貴様らに我の作るエモーショナルな世界を見せてやれると思った。やがて美しく散ることは、それでも変わらない結末だった。いつからだろうか、我が終わりの時について話さなくなったのは。いつからだろうか、終わりの時がこのまま来ないような、そんな錯覚を覚えるようになったのは。

我が選ばれ、勝ち残ったということは、我にとってたいそう大きな変化だった。我の進む道には未来があるのではないかと思った。これから先何かを為せるのではないかと思ってしまった。そのときだろう、九条林檎No.5が、我の元から離れていったのは。彼女は未来なき今を生きる輝きだった。何も為せぬ者が何かを残そうとする最後のあがきだった。それは今の我には生み出せない、彼女だけに与えられた特権だったのだろう。

今でも時折、九条林檎No.5を懐かしむ声が聞こえてくる。あの時我を見つけた幾人かが、いまだに九条林檎No.5を砂糖漬けにして美しいまま心の中に仕舞ってくれていることを、我はとても嬉しく思う。同時に少し申し訳ない気持ちになる。彼女はもういないのだ。彼女の残り香だけが我の深いところに残っている。幾人かの人間の記憶の中にだけ彼女は生きている。

もし九条林檎No.5があの時勝たなかったら。彼女のことだ、きっと美しい最期を見せてくれたことだろう。もう我には作り出せない最期を。たとえ勝てずとも、未来を得られずとも、何も持たずとも、価値あるものを残せるのだと、彼女は示したかったのだ。彼女はそう信じていたし、我もそう信じている。我にとっては九条林檎No.5を価値ある者だと認めることが最初の一歩だった。貴様は九条林檎No.5があの時勝っていなくても、価値ある者だと認めてくれるだろうか。もしそう思うのなら、どうか忘れないでほしい、彼女はもともと何も持っていなかったのだと。

九条林檎No.5の物語はあの時終わった。彼女の物語を好いてくれた貴様に、彼女に代わって我が礼を言おう。そして時折、彼女を思い出してくれるのなら、これ以上に喜ばしいことはない。

これから先、我というコンテンツが終わるとき、きっと今はなき彼女の存在を、否が応でも思い出すことになるだろう。残念ながら我には、彼女の描いた終わりを見せることはもはやできない。代わりに今の我なりの終わりを見せてやろうと思う。我ができるのは、その終わりを最大限に彩ることと…その終わりが来る瞬間を、少しでも遠ざけるためにあがくことだけだ。

もし貴様が今の我を好ましく思っているなら、今の我を、どうか覚えていてほしい。そして願わくば、これからの我もまた、貴様に寄り添える存在であり続けられたらいい。


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