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勝手によろず支援 - その18 [最終回]

ヒール(悪役)とヒーロー

なんか偉い人が怒ってるけど、その原因がはっきりしない。時々笑顔に戻って、ニコニコしながら「おたくら評判悪いよ」と言ってのける…久しぶりに気分の悪い会議に出席しました。

組織別で比較した際の順位が低かったのがいけなかったようなのですが、単純に順位で比較されるとすると、毎年どこかの誰かは同じように怒られることになります。自分たちが頑張って上を目指しても、相対的に下に落ちた誰かが苦しむことになります。「他人に迷惑をかけるな」って学校で教わりませんでしたか?…あれ、そうなると受験もスポーツも全部駄目ですね。順位が下がると怒られるし、もし上がったら押しのけてしまった誰かのことが気になって夜も眠れない…。

いやいや、悪いのは順位というシステムではなくて、それを使う人間の品性です。上位の誰かを見て、「なるほど、ああすればいいのか」と学べば良いんです。マラソン大会みたいに、どうしてもついて行けない状況になればレースを降りたら良いんです。「おまえら、こんな順位でどうする気だ」みたいな脅しの道具にするのは、どうも嫌いです。

しかし、今回は、冒頭の”偉い人”は、あえて分かっていて、今回、悪役をかってでたのかな、と会議が終わって暫くして思い直しました。言われた側で団結して、仕組みを改善し「おまえ以外からは評判上々です!」と言い返してギャフンと言わせるみたいな流れ、やっぱり皆好きなのかなぁ…と思いました(「半沢直樹」みたいな感じ)。

閑話休題。

そもそも、よろず支援とは

医者とか警察とか、あらゆる人が善良に平穏に暮らしていれば、究極的には必要がないものです。だけど、現実には色んな病気や怪我がどうしてもあるし、いざこざだって起きてしまう。だから、必要なものとして存在していて、警察官なんか、暇すぎて交番で昼寝してるとか通行人と四方山話をしてるようなのが、より良い社会なのではないでしょうか。

よろず支援拠点も「困っている」企業の支援がその存在意義なのだとしたら、相談や課題の解決数が少ないことが、より良い状態であるはず。それを分かった上で「件数」で順位を競うのはどうなのか?と考えてしまいます。ただまあある程度の規模がないと話も聞けないでしょうから、網を張っておくという意味でのある程度の件数は必要なのかもしれませんが、どこを目指してるか分からなくなってただ数字を欲しがる「カオナシ(千と千尋の神隠しに出てくる妖怪)」のような存在にならないのか、ちょっと心配にはなりました。

結局、自分は?

エンジニア(ITの専門家)として参画はしているものの、まだまだ無力だなと悔しい場面は正直多いです。とはいえ本業も忙しい中、無限にリソースを割くこともできず、フォローアップが十分に出来ていない方もいらっしゃいます(自力で解決されてたら、それはそれで嬉しいのですが)。

最初によろず支援のコーディネイターに就任した時に、思い描いていたのは、上述の「暇すぎて通行人と四方山話してる警察官」のようなエンジニアになれないかな、というようなことです。様々なシステムが十分に効率化されて安定稼働している社会では、エンジニアの仕事ってもの凄く少ないはずなんです。コンピュータが自律的に動いてくれてるはずなので。色んなタイプのエンジニアが暇してて、その時間で新しい技術を身に着けたり、異業種の人と話をして、新しい仕組みを思いついたり、そういうことが自然発生的に起こるようになってきたら面白いな、と考えています。

「件数」(会社だと「売上」)至上主義になって、なにか見落としていないか、自分自身も再点検が必要だな、と思いました。一度、ギアをニュートラルに戻してみましょう。

ということで、ほとんど反響のなかったnoteの当シリーズも、これで最終回としたいと思います。何名かは読んだよーと言ってくださって、とても嬉しかったのを覚えています。経済性を基準にした「売上至上」にギアが入ってしまうと、一定の数に到達しなければ無価値だ、と思い込んでしまいがちですが、素直な人間の感情に立ち返れば、1人でも読んでくれたら、それは価値のあることです。その1人は未来の自分や子ども宛でも良いかもしれません。

100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?
- マザー・テレサ

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