参加者は気持ちを演じる
こんにちは、よさそうです。
ワークショップのファシリテーションをするとき、今回のタイトル「参加者は気持ちを演じる」を自分への戒めとして心に刻んでいます。
そう考えるようになったお恥ずかしいエピソードを交えてお話していきます。
楽しく参加してくれる人たち
私が我流で研修型のワークショップを数年行っていた頃、あるご参加者さんからのアンケートで膝から崩れ落ちました。
このとき「ワークショップってなんだろう?」という疑問がうずまきつつも、私のワークショップが楽しいまた参加したいといってくださる方もいて、もやもやしながらワークショップを続けていました。
そんな矢先に、別のご参加者さんから、青学でワークショップの作り方が学べると教えてもらって受講したのがワークショップデザイナー育成プログラム(以下、WSD)でした。
この講座ではワークショップを作って実践することを2回行います。コロナ前は1回目の実習では講座の修了生が参加者でした。
その実習1回目で起きたことです。
私たちのグループは、頑張って準備したものの、なかなか思ったとおりにプログラムデザインできず、担当の講師からも「いろいろと要素が多すぎて何がやりたいんだかわからない」と言われる始末。でも、自分たちなりに頑張って準備して、当日を迎えました。
実習当日、参加してくれた修了生たちは、私たちの拙いワークショップを楽しんでくれていました。
あー、よかった、と思ったのでした。
さっきまで楽しそうだったのに…
講座ではワークショップ実習後に、修了生から直接感想を聞く時間があります。
いくつかのグループに別れて、修了生に直接感想を聞いていきます。
そこでいただいた感想は、さきほどまでのなごやかな雰囲気とは打って変わったご指摘の数々でした。
いま思い出しても、すべてが「ごもっとも」と返す言葉もない限り。
いまでも教訓になっていて私のワークショップデザインに影響をいただいている言葉をまとめます。
外は雨が降っていたのに、会場で地べたに座らされるのは気分がよくない。(環境デザインの考慮不足、当日の状況にあわせてプログラム変更ができていない)
前半が体を動かす系のワークだったのに、後半が書くワーク。どちらに振りたいのかわからない。(テーマに一貫性がないので混乱する)
少なくとも前半を後半を通じて共通のテーマがあればよかったが、そのつながりがまったく感じられなかった。(参加者にとって納得感のあるブリッジがきちんとできていない)
その一方で「さっきまでこの人たちは楽しそうに取り組んでいたのに」という疑問も。
でも、よく考えると自分も楽しくないけれど楽しそうに振る舞うときあるよなぁ、と。面白くもないおじさんの話しを愛想笑いして聞いてあげたりとか(笑)
教訓:人間は楽しそうに振る舞える生き物である
人間は感情を繕うことができることを再認識しました。
また少なくとも楽しくなさそうに過ごすよりも、楽しそうに過ごしたほうが自分にとってヘルシーと思うならば、なおさら楽しそうに振る舞うと思います。(これが高じると”ふざける”という状態になってしまうので悩みどころですが)
だから表面的な状態に一喜一憂してはいけないと考えます。
一方で、参加者が楽しそうだからといって「うまくいっている」と、ファシリテーターは慢心してはいけません。
だからこそ、参加者に委ねるところと、主催者が設計するところをしっかりわけて考え、参加者に委ねすぎないプログラムデザインが重要と考えます。
「今日は楽しんでください!」とか「恥ずかしがらずにやってみよう」という言葉を使ってしまったら、ワークショップデザインとしてはNGです。
「今日は楽しんでください」と参加者に委ねる前に、参加者が楽しくなるようにデザインしましょう。
「恥ずがらずにやってみよう」と参加者に委ねる前に、参加者が恥ずかしさを感じなくなるように、段階的なデザインをしましょう。
余談ですが子どもは大人以上に感情を演じる、というか大人の期待する感情を演じることが得意です。「いやだー!」「帰りたい!」と泣き叫んでくれる子は素直です。大人の期待する感情で動ける子どもは本当に楽しいのか?がまったくわかりません。そんな子どもでも心から楽しんで、学びが得られる場作りができたら素晴らしいと思います。
あなたのワークショップづくりに少しでもお役に立てば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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