字を読むことが苦手な息子と夫について。

中1の息子は勉強ができない。勉強ができないというより、字を読むことがとても苦手だ。学習障害、ディスレクシアではないかと思う。保育園のときから絵本に興味がなかった。小学生のときはしりとりをすれば、すぐに「ん」がついて秒で終わった。音読がストレスになり過ぎたのか、家で教科書を読みながら倒れた。いい間違いが多く、つい最近までポップコーンが言えずコップポーンだった。字幕が読めないので、洋画は吹き替えしか見ない。6年間ネィティブの方がいる英語教室に通ったが、この間の英語の通知表は1だった。what why whenなど、wがつくとすべてwhoと読む、
あげるとキリがない。証拠探しのようで嫌になる。
親としては、立派な人生を、などと思ってはいないのだが、自分で生活できるようにはなってほしいと願っている。だから、好きなこと、得意なことがないか度々聞いてしまう。答えはいつも、ない、わからない、だそう。
私から見ると息子は他人のためにはよく働くようだ。お手伝いもよくする。(動作にも問題があり不器用なのでやり直すことも多いが)声を荒げたり怒ったりすることはほとんどない。自分にも甘いが他人にも優しいようだ。委員などの仕事は好きなようで保体委員の副委員を張り切ってやっている。バイトリーダーになれそう、というのが私の未来予想。
息子の勉強のことで夫と幾度となくやり合った。殴る蹴るこそしないが、耳を塞ぎたくなるような喧嘩を幾度もし、息子が泣きながらもうやめて、と言ったこともある。夫も私も、良く言えば自分の考えを持っている。お互いに譲りたくない。なのに譲ったような気持ちでいて、うまくいかなかったときは相手のやり方が悪いと批判する。
息子について、私は学習障害なのだからみんなと同じ勉強方法ではダメだと主張し、夫はこれぐらいのできなさは普通だから努力でなんとかなると主張する。
これが普通?と常々疑問だったのだが、つい最近になって夫もディスレクシアなのだと気がついた。言葉の選択がおかしいのだ。その結果、私の気持ちはざわざわし、ケンカになる。日ごろから小説が読めないと言い、感情が揺れることを嫌っている。揺れないのではなく、それを言葉にできないから戸惑っているのだろう。結果優しい言葉は見つからず、批判することが得意なように聞こえてしまう。ああ、また上から目線で物事を捉える…と私は落胆していた。夫なりに自分の感情を言語化しようとしていたのかもしれない。
息子の場合は同じように言葉の選択ができなくても、批判する言葉は使わない。自分が言われて悲しい言葉はかけないのが息子のポリシーらしい。
私は言葉が好きで、本に救われて生きてきた。人生が辛いとき、物語の中にいれば安心で、またそこから知らないうちに勇気をもらった。だからこそ息子には読む楽しみを持って欲しかったのだ。
今までの過程で気がついたことだが、私が息子の代わりに読むことをすると、理解ができるようだ。しばらくはこの方法で学習を試してみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?