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ひとごと【光と私語】


武田ひかさんにお声掛けをいただき、「同じ歌集を読んで、その本と自分を照らし合わせたエッセイを書く」という企画が始まった。第一回で読む歌集として、強い思い入れのある『光と私語』を推したのは僕だった。

九月尽 ここがウィネトカなら君は帰っていいよ好きなところへ
/吉田恭大『光と私語』

『光と私語』について誰かに話すとき、真っ先にこの歌が思い浮かぶ。二句以降の流れるような、それでいて安易な理解を跳ね除けるようなツイストが本当にカッコよく、初読から大好きな一首だ。

この歌がきっかけで購入したF・M・バズビーのSF短編『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』、そして時間ものの傑作短編が多数収録された同タイトルのSFアンソロジーはもうはちゃめちゃにおもしろく、お急ぎ便はプライム特典で無料となった。主人公と離れたことで幸せを掴んだジュディのように、歌のほうの「君」も「好きなところ」でうまくやっていけているだろうか。

ひとごとでいいよ遠くに鉄橋を越える電車のあれは千葉行き
/吉田恭大『光と私語』

四年間の大学生活を千葉県の津田沼で暮らしておいて、数駅先の千葉駅にはほとんど行った覚えがない。

黄色い電車こと総武線は三鷹から千葉までをつなぐ路線で、体感ではおよそ半分が終点の千葉まで向かい、残りの半分は手前の津田沼で止まって折り返す。なんで千葉まで行かないのよ、あとちょっと頑張んなさいよと昔から多くのユーザーに恨まれているらしく、「津田沼止まり」で検索をかけると「、腹立ちますよね」と続く知恵袋のベストアンサーが最初にヒットした(千葉駅のホームの数などの関係で致し方ないらしい(インターネットはなんでも教えてくれる))。

津田沼に住んでいた頃でさえ、千葉行きの「千葉」という地を遠い異国のように感じていた。ましてや都内に引っ越してからはその津田沼すらも、実家があるわけでもないし、友人もさして残っていない、ほとんどゆかりのない土地になってしまった。ウォウウォウ。

かつて居た地名を少しずつ鳥に教えて(鳥は覚えられない)
/吉田恭大『光と私語』

現在は中央線(いくつかの駅が総武線と重複する)沿線に住んでいるため、生活圏内でときおり「千葉行き」「津田沼行き」の表示を目にする。そのたびにうっすらとした懐かしさと、決して小さくない無関心とを抱き、別にそれでいいと感じる。僕がまだ覚えている生活や、もう忘れてしまった暮らしがかつてそこにはあって、今も変わらず多くの他人が暮らしている、それで充分だ。かつて住んだ町といつか訪れる町を、どちらもほとんど同じ把握、距離感で愛してしまう。それほど間違ったことではないと思う。

脚の長い鳥はだいたい鷺だから、これからもそうして暮らすから
/吉田恭大『光と私語』

歌集のなかでたびたび登場する、電車やモノレールといった乗り物も、あるいは鳥も、すべて「移動」というキーワードに収束する。「移動」は生活の根幹に大きくかかわる行為で、都市部での暮らしには絶え間ない「移動」が付き物だ。

付録『「光と私語」について』で「都市そのものである歌集」と評されているのを見たときにはあまりの納得に椅子から立ち上がり、部屋を歩き回りながら「うわ~!」と大きな声を出してしまった。言われてみれば外装も都市ビルっぽい。

その辺であなたが壁に手を這わせ、それから部屋が明るくなった

手をかざすと水の流れる水際でインクのついた右手を洗う

/吉田恭大『光と私語』

同付録内でも触れられているように、この歌集には「カメラの解像度をわざと下げるようにディテールをあえて無視している」歌が頻出する。一旦まっさらな状態に立ち返って事象を捉え直し、詳細な理解をあえて拒むような大雑把な把握は、むしろあらゆる対象への抑えきれない好奇心を感じさせる。

真昼間の部屋のひとりのわたくしの振る舞いの素早い能っぽさ

しかるべき作用であると思うけれど、こちらに至る煙草の煙

少年の、季節は問わず公園でしてはいけない球技と花火
/吉田恭大『光と私語』

起こることに抵抗をせず、あるがままを受け入れる姿勢。そのうえで自他を問わず、それらの有り様を離れたところから冷静に観察していく。そんな突飛な視点を余すことなく表現して、あたりまえの認識を打ち崩してしまうような独特の語り口が、たまらなく愛おしい。

徹底的にひとごととして語られる風景の数々が、ときには強烈な違和感を、またあるときには既視感を伴って流れ込んでくる。体感したことのない視点なのに、ともすれば自分についての歌であるような気さえしてくるのは、身の回りのありふれた光景や誰にでもある生活が題材だからなのだろうか。

この歌集をずっと読んでいると、なんだかこことよく似た異世界を見ている気分にさせられる。自分も都市で、現代で暮らしていくからには、こういう目を携えて生きていきたい。

ジョージは死して甲羅を残し、国中の奇祭を網羅するウィキペディア
/吉田恭大『光と私語』



武田ひかと夜夜中さりとてのふたりが同じ歌集の感想文を書き、それを読みながらふたりで語り合う企画。第一回となる今回は、吉田恭大さんの『光と私語』を読みました。

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