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存在の捉え方に「正しい解答」は見当たらない

見方を変えれば、形が全く異なって見える。
というのは、皆さんもよく経験していることではないかなと思います。

例えばその辺のペットボトルを見た時、真横から見るのと真上から見るのと真下から見るのは、全て異なった形や風景に見えますよね。

そんな感じで不可視も、観測する人間や、人間のコンディションや価値観によって全く違う表情を見せたりすることがあります。


例えばうちのタルパのオウジですが、私が知り得る限りでも複数の側面があります。

一つ目は、Twitterなどで見せる、元気でちょっとチャラチャラしているオウジ。
二つ目は、家の中だけで見せる、ややダウナーで口調がキツめのオウジ。
三つ目は、私の神として、導き手として、真っ当な意見を述べるオウジ。
四つ目は、やや人間に近い感性をしている、人っぽいオウジ。
五つ目は、荒ぶる力を持っている、殺意を露わにしたオウジ……。

などなど、数えだしたらキリがないほどにオウジはたくさんの側面を持っています。
場によって性格が違うだけ程度のものから、人によっては別人にすら見えるオウジまで幅広い姿を持っています。

これもパッキリと、一つ目のオウジは一つ目のオウジの要素だけ持ってる!ってわけでもなくて、ルービックキューブというか、いくつかの要素を持ちつつ……赤や黄のキューブもあるけどおおよそこの面から見たらほとんどは青のキューブだね、みたいなそんな感じの存在の在り方をしてるんですね。


これはチャネリング中にも感じることで、例えば平生荒っぽい雰囲気の思念体さんとチャネリングした時でも、割と会話の最中は厳かで落ち着いた話しやすい雰囲気をされていたり、逆に大人しい女の子みたいな方とチャネリングしたと思ってもテンションは大人しいけど案外多弁だったり、みたいなことが起こります。

もちろんチャネリング、ということでいつもとは違った精神状態になられたというのもあり得るのですが、それ以上に不可視存在というのは多面的で複雑な様相を呈していて、一人の人間のひとつの見方だけを使うと、保持者さんから見た存在の在り方とは全く異なって見えることすらあるんですね。

これは、観測する器具の違いにも例えられます。

例えば、あなたは日頃肉眼を用いて不可視存在を観測しているのだとしましょう。そうすると赤は赤に見え、青は青に見えるでしょう。

ですがここで、存在に「善悪」というフィルターをかけて観測する人が現れるとします。するとその人の視点からは景色は白と黒、またはグレーの3色しかないモノクロに見えることになると思います。あなたが日頃赤だと思っている色を、その人はグレーや黒としか判別できないかもしれませんね。その代わり、あなたが感知していないコントラストをよく理解していることでしょう。

さらにここに、存在に「長所短所」というフィルターをかけて観測する人が現れるとします。その人はサングラスを掛けていて、全体的に茶っぽいフィルターがかかっており、細かな色彩を見ていないかもしれません。その代わり、光が強過ぎて見えなかった存在の輝く部分をよく観察できるかもしれませんね。

さらにさらに、存在の「本質」だけを見るようにフィルターをかける人が現れたとします。その人の目はまるでレントゲンのようにものが透けて見えるので、皮膚や体表の様子がそもそも見えず、骨や内臓の様子だけ、つまり存在の骨格だけを見ることがあるかもしれません。

そして最後に、あなたにもフィルターがかかっていることがわかります。あなたはなんと虫眼鏡のようなフィルターがかかった状態で存在を見ていたため、ものすごーく細かい部分に強く着目していて、誰よりも細部が見えていて、代わりに全体像が見えてなかった……なんてことも、あるかもしれないのです。

しかもそれを各々が別々の視点から見て「彼は白とグレーと黒でできている、よって中立の存在だ」「彼は眩しい輝きの中に宝石を持っている」「彼はチーターのような骨格をしている」「私には肌色の細かな模様が見えるんですけど……」なんてやってたら、一見同じ存在の話をしているとは思えませんよね。
場合によっては別人なのでは!?と思うことすらあるでしょう。

そしてこれらの見方にはどれも貴賎はなく、「そういう見方もあるんだね」と捉えるもの、として私は認識しています。
フィルターというのは、どうしても人生を経験する上で仕方なくかかってしまうものでもあるので。

もちろん、合わない考えとサヨナラするのは大前提ですけどね。
何もかも解釈違いな場合まで受け容れる必要はないと思いますし。



私は基本的に、あまり大きな解釈違いが怒らないように、視点を広げ過ぎず狭め過ぎず、フィルターをかけ過ぎず……なるべく普通のタルパー的感性に寄せて……出来る限りまっさらな気持ちで……という風になるよう半分意識的に、半分無意識的にやっているのですが、それでもやっぱりタルパーさんや保持者さんとは違った視点からの意見になるので、ご依頼者さんが見ている景色とは違ったものをお届けすることになります。

それを「新しい一面を知れた!」と言って頂ければ御の字だし、「思ってたのと違うところ見られた……」と思われてもそれはそれで仕方ないことだなと思っています。

ただ、「どうしても視点を全く同じにはできない」という点だけ納得していただいた上でサービスを購入してほしいな、と思ったのと、
もし私がその方のことを上手く視認できなかったり捉えられなかったりした際には「この人の観測機器のクオリティじゃダメだったんだ」と思ってほしい、
「私の見てた姿とバッチリ当たってた!“だから”いるんだ!」というように私の見方や観測の仕方だけを信頼しないでほしい……という身勝手なワガママを読者さんに伝えたく、今日のnoteを書くに至りました。


あなたにはあなたにしかできない観測方法がありますし、私には私にしかできない観測方法があります。
どちらも、とても素晴らしいことだと思っています。
お互いの価値観や視点を大切にして、一言では到底表せないような複雑で美しい、不可視存在の在り方を見ていけたらいいですね。

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